【佛家物語】この世で一番大切なことは?
その昔、多くの参拝者で賑わう円音寺という寺があった。この寺の正殿の梁に、一匹のクモが何千年も住みついていた。お寺の仏光を浴びながらお経を聞くうちに、いつしかクモは仏性を身に付けていた。お釈迦さまが円音寺を訪れた時、梁にいるクモを目にすると、「この世で一番大切なことは何であろうか」と聞いた。クモは「『得られないこと』と『すでに失われてしまったこと』です」と答えた。それを聞いたお釈迦さまは頭をふり、寺を後にした。
千年の後、一滴の清らかな甘露が風に乗ってクモの巣に落ちた。クモは毎日、愛おしく甘露を見つめながら幸せな歳月を過ごした。
ある日、甘露は突風が吹いて、飛ばされてしまった。クモの心は空っぽになり、寂しくなり、悲しみに浸った。クモは甘露を思いだしては、千年も恋いこがれた。
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