あの映画と同じ景色が ユタ州の広大なキャニオンランズ
ユタ州南東部にある壮大な砂漠は「インディ・ジョーンズと最後の十字軍」「テルマ&ルイーズ」など、過去70年間に幾度となく映画のロケ地となっています。
小さな町モアブでは、四輪駆動車で岩壁を登ったり、カヤックで川下りをしたり、アウトドア派の人にはおすすめの街です。
もっとゆっくり過ごしたい人には、アメリカでも有数の国立公園であるアーチーズ国立公園とキャニオンランズ国立公園がおすすめです。
モアブでは現在、屋内外の公共の場において、少なくとも約2メートル以上の距離を保つことができない場所では、マスクの着用が義務付けられています。無料のマスクがこのセンターで入手できます。
ほとんどの公園は開園していますが、新型コロナウイルスの影響で閉鎖されているところもあるので、事前に国立公園のウェブサイトを必ずチェックしてください。
地域の歴史
狩猟採集民族が、1万年以上前にこの地域にやって来てから、約2,000年前にこの地に定住し始めました。メサベルデ国立公園では今でもその名残を見ることができます。
この地域に最初に上陸したのはスペイン人で、他の貿易業者や探検家もそれに続きました。
モアブの町は1880年代に入植されました。そのうちの若い住民の一人にローレン・ビッシュ・テイラーという者がおり、1911年にわずか18歳でモアブの新聞社を引き継ぎました。
テイラーはモアブの風景に惚れ込み、レッドロックカントリーの美しさを新聞記事で熱く語っていました。テイラーはモアブの最初の医者であるジョン・ウィリアムスとよく辺りを探検に出かけていました。ジョンは早くから国立公園の創設を提唱していました。
アレクサンダー・リングホファーという名の探鉱者もその二人と同じくこの地形に夢中でした。彼はリオグランデ・ウエスタン鉄道の幹部を招待し、この取り組みを広めようとしました。鉄道関係者はこの地形に感動し、国立公園とする意見に賛同しました。
アーチーズ国立公園
政府は調査チームを派遣してこの地域の視察を実施しました。1929年、フーバー大統領は、2つの地域の土地を保護するための条約に署名し、ウィンドウズの1,920エーカーとデビルズガーデンの2,600エーカーがアーチーズ国定公園に指定されました。
今日、アーチーズはアメリカ人だけでなく、海外からの観光客にも人気があります。24時間営業で、入場料は車1台につき30ドルです。
この広大な土地には、そびえ立つピナクル、巨大なバランス岩など、素晴らしい地層があります。そのため、世界中から写真家が集まります。
高さ46フィートと幅32フィートであるデリケートなアーチや岩々、そしてその上に約55フィートの巨大な岩があり、高さ128フィートである壮大な地形は特に有名です。
デビルズ・ガーデン・キャンプ場でのキャンプは予約制で、年中無休です。
公園内には食料施設がないので、モアブでキャンプ用の食料を事前に調達しておきましょう。
キャニオンランズ国立公園
アーチーズからわずか10マイルのところには、ユタ州最大のキャニオンランズ国立公園があります。コロラド川とその支流によって作られた峡谷と岩山があります。公園は3つの地区、ニードルズ、アイランド・イン・ザ・スカイ、メイズに分かれています。
1950年代、アメリカは原子爆弾に欠かせない重要な材料であるウランをここで探すために全国から探鉱者を募りました。鉱山労働者の作業の効率化のため、AECはユタ州南東部の険しい峡谷地帯に道路を建設しました。
この道路のおかげでこんな遠い場所にもあらゆる地域から人が訪れるようになりました。やがて、アーチーズ国立公園の管理人であるベイツ・ウィルソンをはじめとする国立公園局の職員たちは、新しい国立公園の設立に向けて動き出しました。「キャニオンランズの父」と呼ばれたウィルソンのその働きのおかげで、1964年、キャニオンランズ国立公園が誕生しました。
キャニオンランズには80以上の自然のアーチがありますが、最も有名なものはメサアーチです。モアブから約30マイルの場所にあり、ドライブの途中で立ち止まって景色を楽しむことができる場所が多数あります。
公園を訪れる際のヒント
モアブへ行くには車が必要です。最寄りの主要空港は、モアブから車で約4時間のソルトレイクシティです。
公園を訪れるのに最適な時期は春と秋で、気温が低く、また観光客の人数も少なくなります。夏にはとても気温が高くなるので、帽子、サングラス、日焼け止めなどは必須です。
公園はとても人気で、待ち時間が30分以上になる時期もあります。行列を避けるには、朝早くか午後遅くに行くことをおすすめします。
ヤンナ・グラバー氏は、これまでに55カ国以上の旅行を取材してきました。「A Pink Suitcase: 22 Tales of Women’s Travel」など3冊の旅行雑誌の編集者であり、「Go World Travel Magazine」のマネージング・エディターでもあります。
(大紀元日本ウェブ編集部)