イメージ、中国広東省深セン市の街の様子(WANG ZHAO/AFP via Getty Images)

中国深セン市、災害時緊急物資の備蓄を市民に「指導」、憶測飛び交う

中国広東省深セン市の危機管理当局、市応急管理局は10月14日、「災害に備えるための指導」と称し、「深セン市家庭非常備蓄品推奨リスト」を発表した。市民の間では、リストについて「戦争に備えるためか、それとも疫病の感染拡大に備えるためか」などと様々な憶測が飛び交った。

リストが発表された14日、中国の習近平国家主席は深セン市で開かれた経済特区設立40年の記念式典に出席した。また、その2日前、習近平氏は同省潮州市に駐留する海軍陸戦隊を視察し、「全身全霊で戦争に備えよ」と兵士らに指示した。

「深セン市家庭非常備蓄品推奨リスト」は、「基本版」と「拡充版」がある。

「基本版」には、非常時用道具、緊急時の医薬品、多機能懐中電灯、救命用ホイッスル、消火器、レスピレーターなどの非常用アイテムを挙げた。「拡充版」は、食料、日用品、貴重品、書類などをリストアップした。

これを受けて、一部の市民は「福建省アモイで戦争が起きるのだろうか」と推測した。一方で、中国当局が「単に(緊迫した)雰囲気を作り出したいのではないか」と指摘する人もいる。

広東省の実業家である王氏は16日、米ラジオ・フリー・アジア(RFA)に対し、「少し前は、全国の多くの都市で防空訓練が行われ、市民は『空襲に備えろ』と言われたけど、今度は『非常備蓄品リスト』を発表した。彼ら(中国当局)がやっている事はよくわからない。台湾への威嚇に合わせた雰囲気作りかもしれない。虚勢を張っているだけ」と語った。

福建省に住む学者の林氏も同様の見解を示した。

「習氏の海軍陸戦隊視察も、深セン政府が講じた一連の措置も、全て国民に見せたショーだ。中国当局は戦争をしたくないのに、戦おうとするふりをしている。今までずっとそうだ」

台湾国防部(国防省)によると、今年に入ってから9月まで、台湾の防空識別圏(ADIZ)に進入した中国軍機は延べ1710機に上り、海上でも中国軍艦が1029回も挑発行為を行った。過去1カ月、中国軍の戦闘機が台湾海峡の中間線を越え、台湾南西部の防空識別圏に進入した回数は40回に上ったという。

一方、非常備蓄品リストが「中共ウイルス新型コロナウィルス)の流行に関係するのではないか」と推測する市民もいる。

14日の深セン経済特区成立40周年記念式典に出席し、演説を行った習氏は、スピーチの終盤で複数回咳をした。これを中継していた国営中央テレビ(CCTV)が慌てて画面を切り替えた。このため、ネット上では習氏の健康への懸念が高まっている。

また、同式典に参加した香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)長官は9日、香港フィルハーモニー管弦楽団のコンサートを鑑賞した。その後、同楽団の演奏者1人が中共ウイルスに感染したのがわかった。香港紙・蘋果日報14日付によると、楽団の演奏者など100人余りが隔離措置とPCR検査を受ける必要がある。

中国国内ではこのほど、中共ウィルスの感染が拡大している。深セン市は10月1日に、「経済特区突発公共衛生事件に関する応急条例」を公表したばかり。

広東省政府は10月15日、16日に省内で確認された新規感染者は2人で、同省広州市では新規無症状感染者1人を確認したと発表した。

(大紀元日本ウェブ編集部)

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