【紀元曙光】2020年12月22日

1998年の映画『シュウシュウの季節』(中国題「天浴」)。
▼時代は文化大革命の最末期である1975年。四川省成都で愛情ゆたかな両親と暮らす17歳の女子学生・秀秀(シュウシュウ)は、1968年から長々と続けられていた下放(かほう)のなかで、都会をはるか離れたチベットの農村へ「志願」して行くことになる。
▼下放とは、都会の、主として10代の学生を対象に「農村での肉体労働を通じて、農民の苦労を学ばせる」という、社会主義体制のなかの「必要な教育」の一環とされる。そうは言うが、要するに都市人口の「口べらし」であった。そのほか、文革の初期に出現し、後に毛沢東でも制御できないほど過激化した紅衛兵運動に対する予防策という一面もあったらしい。
▼秀秀は、下放運動が終わっても成都へ帰ることが許されないままだった。彼女は、家に帰りたいあまり「本部にコネがある」といって近づいてきた複数の男に、その清らかな体を許してしまう。男たちの慰みものにされ、望まぬ妊娠、中絶を経て、身も心もボロボロになった秀秀。その先は省略するが、ラストシーンはあまりに悲劇的である。
▼下放(上山下郷運動)は、早期には50年代からあったが、1968年12月22日の『人民日報』が毛沢東の指示として出した社説「都会で暇つぶしするな。我々には両手があるのだ」を契機に、大規模かつ全国的に推進されることになる。
▼そうした文革世代も、今は60代から70代の年齢。千数百万人という下放青年のなかで、深い傷の癒えぬまま、農村に残らざるを得なかった人も多い。