古典の味わい

【古典の味わい】貞観之治(貞観の治) 『十八史略』より

 唐太宗即位初、有上書請去佞臣者。曰「願陽怒以試之。執理不屈者、直臣也。畏威順旨者、佞臣也」。上曰「吾自為詐、何以責臣下之直乎。朕方以至誠治天下」。或請重法禁盗。上曰「当去奢省費軽徭薄賦、選用廉吏。使民衣食有余、自不為盗。安用重法邪」。自是数年之後、路不拾遺、商旅野宿焉。上嘗謂侍臣曰「聞、西域胡賈、得美珠、剖身而蔵之。有諸」。曰「有之」。曰「吏受賕抵法、与帝王徇奢欲而亡国者、何以異此胡之可笑邪」。

 唐の太宗が即位した初め頃のこと。「こびへつらう佞臣を遠ざけてほしい」という意見書を奉った者がいた。その文書には「どうぞ、わざと怒ったふりをして、試してみてください。道理を守って屈しないものは実直な良い臣です。陛下のご威光を恐れて従うものは佞臣です」とある。これを読んだ太宗は「私が自ら偽りなどをすれば、どうして臣下に正直であるよう求められるだろう。私はまさに至誠をもって天下を治めたいのだ」と答えた。

 また、ある者は「法律を厳しくして、泥棒や盗賊を取り締まってほしい」とお願いした。太宗は「それよりも君主が率先して贅沢をやめ、節約すべきではないか。さらに、人民の労役を軽くし、税の負担を減じるとともに、不正をしない清廉な役人を選んで用いるべきである。そうして、人民の衣食に余裕があるようにすれば、自然と盗みはしなくなるのだ。どうして法律を厳しくする必要があろうか」と答えた。わずか数年の後には、道に落ちている物を拾って着服する者はいなくなり、盗賊がいないので、旅をする商人も安心して野宿ができる世の中になった。

 太宗はかつて、近侍の臣にこんなことを問うた。「聞くところによると、西域の胡人の商人は、美しい珠玉を手に入れると、自分の身を刃物で切開し、そこへ珠玉を隠すという。本当にそんなことがあるのか」。侍臣は「ございます」と答えた。それを聞いて太宗は「賄賂を受け取って法を犯し、処罰される役人がいる。また歴代の帝王のなかには、贅を尽くして国を滅ぼした暗愚の帝王もいる。そういう者たちの愚かさと、西域の商人が我欲のあまり自身を傷つける愚かさと、一体どこが違うというのか」と言った。(大意、以上)

 太宗(598~649)名は李世民(りせいみん)。唐朝第2代皇帝である太宗は、中国史における最高の名君とされています。とりわけ、その理想的治世によって国内が安定し繫栄した時期は、元号を冠して貞観の治(じょうがんのち)と称賛されています。

 さて『十八史略』という本ですが、南宋の曾先之(そうせんし)が十八の史書から教育的エッセンスを取り出して簡潔にまとめたもので、中国では古くから子どもが読む「幼児用テキスト」として知られていました。この場合の子どもとは、もちろん農民の子ではなく、将来は科挙受験を目指す読書人の家庭の子ですが、幼児期からの学習のなかにこうした道徳的内容が盛り込まれていたわけです。

 本来の史書ではなく曾先之が編集した書籍ですので、これを史実の典拠として扱うことはできませんが、昔の中国人がどのように子どもを教育したかを知る上で、興味深い本であると言えます。

 日本でも江戸時代から明治期まで、漢文の初学者テキストとして『十八史略』は広く読まれていました。声に出して読み、漢文の訓読法を習得するのが、日本人としての主な目的です。

 それを昭和期以降は(私もそうでしたが)中国文学を専攻する大学生が、1年生で読まされました。もとをたどれば「幼児用テキスト」です。こんなの子どもが読んでいたものだよ、と授業する教授が苦笑していたのを覚えています。

 そして令和の今。中学高校の国語のなかで、古典の扱いがますます少なくなっていると聞きます。「古典の味わい」を、もっと大切にしていただきたいという切なる願いから、本コーナーを読者各位にお届けしていきます。

(諭)

関連記事
貞観2年のこと。太宗は、諌議大夫の魏徴(ぎちょう)を呼んで、こう訊ねられた。「魏徴よ。古来、明君(名君)といい […]
(前回に続き)魏徴は、さらにこう言葉を続けた。 「秦の二世皇帝である胡亥(こがい)は、その身を宮中の奥深くに隠 […]