「中国は世界で一番幸せな国だと思っていた」 矢板明夫氏が洗脳体験語る
産経新聞の矢板明夫・台北支局長は、4月4日に行われた新唐人テレビの情報番組「熱点互動」のインタビューで、子供の頃に中国共産党に洗脳され、帰国後に日本社会との対比で嘘から目が覚めたと語った。
中国で生まれ、中国残留邦人2世として育った同氏は、1988年に15歳で中国を離れ、日本に戻ってきた。慶応義塾大学を卒業後、松下政経塾に入塾、ジャーナリストとして活躍している。
矢板氏はインタビューで、「私が小中学生の頃は、基本的に『中国人が世界で一番幸せだ』『中国共産党が一番偉い』という概念を毎日教えられていた。考えることも判断することもできないほど幼かった私は、自然にこの教えを受け入れた」と説明した。
「私が中国の学校に通っていた頃、『少年先鋒報(ヤング・パイオニア・ニュース)』というプロパガンダ雑誌の購読を義務付けられていた。その中に『良い社会主義と悪い資本主義』というコラムがあり、社会主義社会で暮らす高齢者は政府に支えられ助けられているが、資本主義社会では高齢者が路上で凍死してしまう、という内容だったと記憶している。しかし、日本に戻ってみると、日本の高齢者は中国の高齢者よりもはるかに幸せであることがわかった。似たような例は数え切れないほどある」
中国の警察は、市民に暴力を振るうことが多く、マフィアに匹敵するイメージを持っているという。「1980年代に中国に住んでいたとき、自宅近くの警察署で警察官に殴られている人をよく見かけた。幼い頃から家族に『警察には気をつけろ』と教えられていた。しかし、日本では警察官は人を殴らない。道を尋ねるときなどに出会った警察官はみんな親切で、警察に殴られたという話は聞いたこともない」と矢板氏は述べた。
中国では役所や政府機関に行くと、コネや賄賂がなければ、行政手続きが何カ月も何年も終わらないことがある。日本では、すべての国民が平等に扱われており、どんなに複雑な手続きでも1日、あるいは数時間のうちに窓口で済ませることができる。矢板氏は日本に帰ってきて初めて政府機関の効率の良さを実感したと語った。
一方、中国では、共産党政府はメディアや世論をコントロールしているため、政府に対する指摘や批判は許されない。正当な権利や利益を侵害された市民は、その不満をぶつける場所がなく、自ら抗議活動を行うしかない。北京には「上訪村(請願村)」があり、多くの請願者が集まっている。矢板氏はジャーナリストとして、これらの請願者の多くを取材してきた。しかし、日本ではそのような弱者は存在しないという。
「毛沢東の洗脳術が復活した」
矢板氏は2000年、再び中国に渡り、中国社会科学院日本研究所特別研究員、南開大学非常勤講師などを経て、2002年に中国社会科学院大学院で博士号を取得。2007年の初めから2016年まで、記者として10年間、北京に駐在し、激動の中国を目の当たりにした。
2018年、矢板氏は中国問題評論家の石平氏とともに回顧録『私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた』を出版した。同書は、文化大革命から改革開放、そして習近平政権の台頭という現代中国の実情を会話形式で描いている。表紙には、「なぜ、地獄の底にいたのに、至福の楽園だと信じていたのか」「今、毛沢東の絶対的権威に憧れる習近平が、嘘と幻想を復活させた」などと書かれている。
矢板氏は新唐人テレビに対し、「中国は独裁国家なので、国の権力を握った指導者が、思いつきで多くの重要なことを決める。指導者の考え方一つで、中国を改革開放に導くことができる。そしてまた、習近平のように、中国を毛沢東時代に引き戻すこともできる」と指摘した。
矢板氏の著書に香港の多くの若者が共感を覚えた。香港では、中央政府が反体制派を取り締まるための「香港国家安全維持法」を施行すると、デモのスローガン「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、時代の革命だ)」の使用が禁止された。集会では、表紙のタイトルを抗議のスローガンとして、多くの若者がこの本を掲げていた。
矢板氏は、「かつて中国は、香港と台湾を引き寄せる巨大な磁石のような存在だった。香港も台湾も、中国(共産党)に浸透され、そして併合されるという見通しがあった。しかし、習近平政権になってからは、わずか1~2年で磁力がプラスからマイナスに変わった。今、香港や台湾では、中国(共産党)に対する拒否反応がかつてないほど強くなっている」と語った。
(翻訳編集・王君宜)