1268年4月18日(文永5年3月5日)。18歳の北条時宗(1251~1284)が鎌倉幕府第8代執権となります。
同じ年の正月、高麗(こうらい)の施設が元(げん)の国書をもって太宰府を来訪しています。国書とは、もちろん日本国が元つまりモンゴル帝国へ服属することを求めるものでした。
たびたびの国書に時宗は返答しなかったため、1271年、元の使者が来日して日本への武力侵攻を警告。時宗は、博多湾岸に長大な石塁を築き、御家人に呼びかけて徹底抗戦の構えをとります。
時宗の禅の師は、元に滅ぼされた南宋の出身で臨済宗の僧・無学祖元(むがくそげん)でした。文永11年(1274)と弘安4年(1281)に蒙古襲来という国難があり、とくに苛烈な弘安の役で、若き執権を精神的に支えたのは祖元の教えであったともいわれます。
(慧)
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