弟子規/大紀元

弟子規(9)

或(Huò) 飲(yǐn)食(shí),或(huò) 坐(zuò) 走(zǒu);

長(Zhǎng)者(zhě) 先(xiān),幼(yòu) 者(zhě) 後(hòu)。

長(Zháng) 呼(hū) 人(rén),即(jí) 代(dài) 叫(jiào);

人(Rén) 不(bù) 在(zài),己(jǐ) 即(jí) 到(dào)。

稱(Chēng) 尊(zūn)長(zhǎng),勿(wù) 呼(hū) 名(míng);

對(Duì) 尊(zūn)長(zhǎng),勿(wù) 顯(xiǎn) 能(néng)。

【注釈】 

(1)或:あるいは。

(2)長:先輩や年輩。

(3)呼:呼ぶ。

(4)即:即刻。

(5)代:代替する。

(6)稱:(名前で)呼ぶ。

(7)顯能:才能をひけらかす。

【日文参考】

飲食する時、あるいは歩く時も座る時も、年輩(先輩)者が先で、弱年(後輩)者は後になる。年輩者が人を呼んでいるときは、即刻年配者に替って人を呼びに行き、その人が不在の時には自らが手伝う。先輩は名前で呼ばず、先輩の前では自らの才能をひけらかさない。

【参考故事】

明朝の夏誠明の妻であった王氏は、江蘇無錫の農家の婦女で、家の経済は苦しく,また飢饉の年もあって、夫はよその土地に出稼ぎに出、王氏は日夜働きづめで機を織り、毎度苦労して姑に食事を支度し、自らは粗末な食事で済ませていた。

姑が偶然厨房に入ったとき、彼女が食べていたものを目にし、涙を禁じ得なかった。後に、王氏は八十歳過ぎで他界するが、病で苦しむこともなく、安らかに逝った。彼女がなくなるとき、家人はその夢の中で、天から楽団が賑やかにやってきて、彼女を迎えに来ているのを目にした。同じ村に京師の太学に推薦された秀才がおり、彼は、王氏の門前を通り過ぎる時は、必ず三拝して敬意を表したという。

 (竜崎)

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