弟子規/大紀元

弟子規 (20)

見(Jiàn) 人(rén) 善(shàn),即(jí) 思(Sī)齊(qí);

縱(zòng) 去(qù) 遠(yuǎn),以(yǐ) 漸(jiàn) 躋(jī)。

見(Jiàn) 人(rén) 惡(è),即(jí) 內(nèi)省(xǐng);

有(yǒu) 則(zé) 改(gǎi),無(wú) 加(jiā) 警(jǐng)。

【注釈】

﹙1﹚ 善:良い所、いわゆる長所。

﹙2﹚ 思:希望する。

﹙3﹚ 齊:一樣、同じ。

﹙4﹚ 縱:よしんば。

﹙5﹚ 去:差、距離。

﹙6﹚ 以:するようにする。

﹙7﹚ 躋:追いつくようにする。

﹙8﹚ 惡:悪い所。直すべき所。

﹙9﹚ 省:自分の悪い思想や行為を精査する。

﹙10﹚ 改:改善する。

﹙11﹚ 加:さらに、いっそう。

﹙12﹚ 警:警戒し、恐れ入る。

【日文参考】

他人の優れた点や長所を観たら、自分もそれに追いつけるようにする。もしその人との距離が大きい場合は、全力で努力する決心をし、徐々に追いつくようにする。

他人の欠点や過失を観たら、すぐに自分の思想や行為を省みる。もし同様の欠点があるようであれば、すぐに改善するよう努力する。自分にそのような欠点がなくても、そのことに気を付け、同様の過ちを犯さず、他人の轍を踏まないようにする。

【参考故事】

周處が三害を除いた故事は多くの人々が聴き知っている。彼は生来から勇気のある人間で、水中の悪竜を退治したり山中の人食い虎を駆除したりしたが、平安な郷里に舞い戻ってみると、村の古老が不安げな顔をしているのを見て、自分自身が最後の害であることを知った。彼は、自分自身を改善しなければ、村人たちが安楽に暮らせないことを知ったものの、もう年齢もいっているし、勉強はからきしであったし、一から出発して本当にやりとげることができるのか疑問であった。

ある日、彼は村人たちが吳郡﹙現在の江蘇蘇州﹚に、陸機、陸雲という才能と学問のある兄弟について噂話をしているのを聴いた。彼らは、多くの事柄に対して独自の見解を持ち、人を助けることを楽しみとしているという。周處は呉郡に行って、陸機、陸雲兄弟を探し出す決意をした。どうしたらいいのか善後策を聴くためである。彼が陸家を訪ねたとき、あいにく兄の陸機は外出して不在であったが、弟の陸雲がいたので、事の顛末を話し、洗いざらいを曝け出すと、指導を仰いだ。

陸雲は話を聴き終わると、周處に言った。「朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」。「それは、どういう意味ですか?」「一個人として、朝に聖賢の言葉を聴くことができれば、夕べに死んだとしても、その人の人生は無駄ではなかったという意味です。ましてや、あなたには前途に希望がまだあるのですから。人は、ただ士気と目標がなく、美名を揚げないことだけを恐れていればいいのです」

周處はこれを聴くと一念発起し、粉骨砕身努力すると、最後には一介の人物になったという。

(竜崎)

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