弟子規/大紀元

弟子規 (21)

惟(Wéi) 德(Dé)學(xué),惟(wéi) 才(cái)藝(yì),

不(Bù)如(rú) 人(rén),當(dāng) 自(zì) 勵(lì)。

若(Ruò) 衣(yī)服(fu),若(ruò) 飲(yǐn)食(shí),

不(Bù)如(rú) 人(rén),勿(wù) 生(shēng) 戚(qī)。

【注釈】

(1)惟:ただ。

(2)德學:品德、學問。

(3)才藝:才能、技術。

(4)不如人:他人に及ばない。

(5)當:すべきである。

(6)自勵:自ら励む。

(7)若:もし。

(8)飲食:食べ物、飲み物。

(9)如:比較する。

(10)勿:してはならない。

(11)生:感じる。

(12)戚:憂い傷つく。

【日文参考】

真正な君子は、物質的な方面で他人に及ばなくてもかまわず、品德、学問或いは才能、技術の上で他人に及ばないときに自ら刻苦精励する。また、着ている服や口にする飲食が他人より良くなくても憂い傷つくことはない。

【参考故事】

三国時代,吳国の大将であった呂蒙は、年少の時から勉強に励んでこなかったので、皇帝の孫権は呂蒙に勉強を勧めた。「今の君のように大権を掌握してからは、学問を修めて充電する必要がある。そうすればきっと大いに役立つだろう」。これに呂蒙が答えた。「軍務が忙しすぎて、本を読んでいる暇がありません。」孫權が言った。「私は権力の座についてからというもの、三史、諸家の兵書を読破して理解したことが大いに役に立った。君は天性から聡明だから、学問をすればきっと得るところがあるはずなのに、どうして本を読まないのか。孔子も『一日中、飲まず食わずの考えは不要だが、普段からの学習努力に勝るものはない』と言っているではないか。漢の光武帝は軍務で忙しい中でも、本を手放さなかった。曹操もまた老いてなお学習を好んだ。どうして君だけが例外でありえようか」

呂蒙はそれから発奮して読書を始め、人より多くの本を読破した。呉の将軍であった魯肅は本来から彼を軽視していたが、彼と談話してからは、これまでの見方と反対のことを言いだした。「君は武勇だけかと思っていたが、今はこのように博識であったとは。以前の浅薄なものとは全く違う」と脱帽した。呂蒙は、「士を三日見らざれば、刮目してみるべし」(日々鍛錬している者は、三日も会わなければ見違えるほど変わっている)と言った。

(竜崎)

関連記事
われわれが書見をする書斎は整理整頓を心がけ、壁も乾燥させ、きれいにしておくこと。大小の机も清潔に保ち、机の上の文具もきちんと置いておく。墨を摺る時は心を専一にし、墨が偏って減らないように注意する。偏って減るときは、心ここにあらずという状態になっている証拠である。字を書く時は慎重に書く。随意に間違った字を書くのは、既に心性に問題が生じている。
読書をするには、三つの事をしっかりやる必要がある。心で考え理解し、目で見て確認して、口で唱え音読するのである。この三つは非常に重要である。この一書を読み終わらないうちは、別の一書を想ってはならない。読書の計画には余裕があってしかるべきであるが、読書の時には集中力が必要である。時間と労力を費やせば、分からない個所も自然と通じるものである。読んでいてもし心に疑問が湧いたら、即刻に筆記して書き留めておき、人を探して本当の意味を確認しておく。
およそわが身をもって実行しないものは、本の上だけで知識を得て応用を知らないものであり、実践的ではなく、将来どのような人になるか皆目見当もつかない。しかし、盲目的に物事をやってしまって、本の上から知識と経験を学ばないものは、頑固に自分勝手を通しているだけであり、かえって本当の道理を理解できないものである。
人間は同じように見えるが、その性情は大いに違う。大多数の人は平凡であるが、本当に徳性に度量があって高尚な人は極めて少ない。もし、本当に徳性が優れていて高い人であれば、皆が彼を尊敬する。なぜなら、彼はこびへつらって人にとりいったり、嘘偽りで人に付け入ったりしないからである。
家の男女の使用人に対するとき最も重要なことは、自身の言行を端正無私にし、かつ慈しみを厚くして度量を大きくし、苛めたり圧力を掛けたりしない。