弟子規/大紀元

弟子規 (24)

凡(Fán)是(shì) 人(rén),皆(jiē) 須(xū) 愛(ài);

天(Tiān) 同(tóng) 覆(fù),地(dì) 同(tóng) 載(zǎi)。

行(Xíng) 高(gāo) 者(zhě),名(míng) 自(zì) 高(gāo);

人(Rén) 所(suǒ) 重(zhòng),非(fēi) 貌(mào) 高(gāo)。

才(Cái) 大(dà) 者(zhě),望(wàng) 自(zì)大(dà);

人(Rén) 所(suǒ) 服(fú),非(fēi) 言(yán) 大(dà)。

【注釈】

(1)覆:覆う。

(2)載:受ける。

(3)行高:品德が高尚。

(4)名:名聲。

(5)重:尊敬する。

(6)貌高:外見が良い。

(7)才大者:才能に優れている者。

(8)望:名声。

(9)服:心服する。

(10)言大:大言壮語。

【日文参考】

人と人との間は、お互いに親しく愛し合うものであり、それはあたかも天が一切を覆い、大地が万物一般を受け止めて育んでいるようなものである。品行が高尚な人は、自然と名声が遠くまで及ぶが、人々が彼を尊敬するのは、彼の品行が良いからであって、その外見が良いからではない。才能に優れた人は、名声が高くなりがちであるが、人々が彼を尊重するのは、彼の能力が優れているからであって、口で大言壮語をしているからではない。それゆえ皆が称賛するのである。

【参考故事】

春秋戦国時代、孔子には三千人の弟子がいたが、その中の一人に子羽という者がいた。彼は容貌が悪く、孔子が初めて彼を見た時、彼の印象は良くなかった。孔子には、彼が愚鈍に見え、言語弁舌も明瞭ではなかったため、前途に見込みはないものとひそかに思っていた。

別に、宰我という学生がいたが、彼は堂々としており、礼儀正しく、弁舌爽やかであったため、孔子が彼を初めて見たときには、前途有望の得難い人材に思えた。

しかし孔子の予想とは裏腹に、子羽は学問に興味を示し、考えることも好きだったため、努力し続け、最後には学者となり、これに師事を求める者が続出した。しかし、宰我は怠惰になり、学問を好まず、孔子の教導努力にも応じず、進歩が見られなかったため、最後には「腐った木には彫刻ができぬ」と孔子は業を煮やした。

孔子は自らの判断を誤った原因として、「人の容貌にとらわれると子羽を見失い、人の言動にとらわれると宰我を見失う」と言っている。「容貌にとらわれると、子羽を失う」の故事は、ここから生まれた。

(竜崎)

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