チベットの光 (65) 空中飛行

師父は手紙の中で、いかに障碍を転じて益とするか、いかに好ましくない状況を転じて好ましいものとするか、そして功徳を増す口訣を書いていた。師父は手紙の中で、現在は品質の良い食べ物を口にするべきだとミラレパに再三注意していた。

 ミラレパはこれまで修行に不断の努力を重ね、身体的な要素を脈内に集結させてきたが、食料の品質があまりにも落ちていたため、脈内に集結されたこれらのものを溶かすことができなかったのだ。

 ミラレパは読み終わったのち、ジェサイが持ってきた食物と酒をとり、師父の手紙が示している通りに修行を続けた。このようにして、彼はまず身体の小さな脈の結びを通じさせ、これに続いてへその間を通る大脈の結びを通じさせた。ここに到って、彼は打座の最中に非凡な境地に到達し、無念、無物、透明、清浄な感覚を受け、それは一種言語では表しがたいものであった。彼は、堅固で広大、深遠にして奥深い功徳を証明した。

 修煉は、特異功能や神通を顕すだけでなく、内心が不可思議な境界に到達する。ミラレパにも幾年の修行によって、それがだんだんとあらわれてきたのであった。しかし、その間に経験した苦しみ、飢えと寒さ、嘲笑などの苦しみは小事で、最も苦しいのは孤独な寂寞であり、余人には理解できないものであった。これらのものは、ミラレパが定に入って凡俗の境地を超えるに従い、彼を苦しめるものではなくなり、意にはかることもなく、それらのものが存在しないかのように感じるようになった。それは、真の大自在であった。

 このようにして、ミラレパは師父の手紙が示すとおりに弛まぬ修行を重ね、身体の各所の脈の結びが通るようになった。そのとき、彼の功力はますます強く高くなり、エネルギーもますます強くなり、その周天(※1)の運行もますます強くなった。それからしばらくして、彼は各種の神通を顕すようになった。彼は真っ昼間から、マルバ師父のように各種の形に変化し、打座の時には宙に浮くようになった。夜ともなると、彼は夢の中で空中を浮遊し、世界の頂に行こうと思えば、そこに飛んで行った。山川を粉砕しようと思えば、山川を粉砕し、形象は千変万化して、火の中でも水の中でも自由に出たり入ったりすることができた。彼は佛国に行って説法を聴こうと思えば、聴くことができ、また衆生のために法を説いた。

 これらは精進苦行の成果ではあったが、仏になるというその最終目標にはまだ達していなかった。それからまた彼が不断の努力を重ねた結果、昼間に空中を飛行できるようになった。もう夢の中で元神が体を離れて宙を飛ぶ必要もなくなった。こうして、彼は高山の山頂に行って、そこから下界を俯瞰して見た。この修行の境地は前代未聞にして、言語で形容しがたく、凡夫には想像しがたいものであった。

 彼が飛行してフマパイの洞窟に帰る道すがら、山麓の村で父子が畑を耕していた。父親は鍬を振るい、子供は牛を追って畑を耕していた。突然、影がさしたので、子供は何か大きな鳥でも来たのかと思い、空を望み大きく目を見開いて叫んだ。

 「お父ちゃん!見てごらん、お空に人が飛んでいるよ!」彼はぼうっと見上げると、しばし畑を耕すことを忘れ、目をぱちぱちとさせながら、空中のミラレパを見つめた。

 (※1)周天…身体の中を巡る気の流れ。大道法門の言葉で、道家では任脈督脈を通す小周天、チベット密教では中脈を通すことを最初の目的とする。

(続く)

(翻訳編集・武蔵)