弟子規/大紀元

弟子規 (32)

fáng shì qīng,qiáng bì jìng;jī àn jié,bǐ yàn zhèng。

房室清,牆壁淨;幾案潔,筆硯正。

mò mó piān,xīn bù duān;zì bú jìng,xīn xiān bìng 。

墨磨偏,心不端;字不敬,心先病。

liè diǎn jí,yǒu dìng chù;dú kàn bì,huán yuán chù 。

列典籍,有定處;讀看畢,還原處。

suī yǒu jí,juàn shù qí;yǒu quē huài,jiù bǔ zhī 。

雖有急,卷束齊;有缺壞,就補之。

fēi shèng shū,bǐng wù shì;bì cōng míng,huài xīn zhì 。

非聖書,屏勿視;敝聰明,壞心志。

wù zì bào,wù zì qì;shèng yǔ xián,kě xún zhì。

勿自暴,勿自棄;聖與賢,可循至。

【注釈】

﹙1﹚房室:読書などをする書斎。

﹙2﹚清:きれいに整頓する。

﹙3﹚淨:きれい。

﹙4﹚幾:長方形の低い机。

﹙5﹚案:机。

﹙6﹚潔:きれいで汚れない。

﹙7﹚筆:ふで。

﹙8﹚硯:すずり。

﹙9﹚正:偏らず。

﹙10﹚墨:すみ。

﹙11﹚磨:磨きをかける。

﹙12﹚偏:歪んでまっすぐにならない。

﹙13﹚心:人間の意思。

﹙14﹚敬:慎重に行う。

﹙15﹚病:欠陥。

﹙16﹚列:陳列する。

﹙17﹚典:重要な書籍。

﹙18﹚籍:書籍。

﹙19﹚畢:終了する。

﹙20﹚還:戻す。

﹙21﹚急:急用。

﹙22﹚卷:書籍を指す。

﹙23﹚束:包む。

﹙24﹚缺:欠ける。

﹙25﹚壞:損害する。

﹙26﹚補:修繕する。

﹙27﹚聖書:聖なる書籍。

﹙28﹚屏:排除する。

﹙29﹚視:見る。

﹙30﹚敝:障碍。

﹙31﹚聰明:聡明である。

﹙32﹚心志:心と意志。

﹙33﹚暴:傷つく。

﹙34﹚棄:切り捨てる。

﹙35﹚賢:賢者。

﹙36﹚循:順を追って一歩一歩進める。

【日文参考】

われわれが書見をする書斎は整理整頓を心がけ、壁も乾燥させ、きれいにしておくこと。大小の机も清潔に保ち、机の上の文具もきちんと置いておく。墨を摺る時は心を専一にし、墨が偏って減らないように注意する。偏って減るときは、心ここにあらずという状態になっている証拠である。字を書く時は慎重に書く。随意に間違った字を書くのは、既に心性に問題が生じている。

書籍の整理は必ずその配列に原則を保ち、定位を決めて置き、それを妄りに動かさない。見た本は必ず元の場所に戻し、他日容易に取り出せるようにする。緊急の用事に処する場合でも、まず本を整理してからその場を離れる。巻物に破損または落丁があったなら、すぐにそれを補修する。時間が経過して忘れてしまうと、さらに補修が困難になる。

事理に広く通じた人が書いた本でなければ、読むべきではなく、捨てるべきである。なぜなら、その類の本は、説く理が明瞭ではなく、適当ではなく、かえって読む人の耳目を塞ぎ、その知恵の障碍にもなる。その善良な本性や志節を破壊してしまい、是非曲直が分からなくなってしまうからである。

しかし自らのみを是とせず、自分で自分を傷つけることもなく、自分から自己を放棄しなければ、一歩一歩聖賢の域に近づくことができる。

【参考故事】

キジバトとミミズクの対話

ある一羽のキジバトが樹の上でゆっくりと止まっていた。突然、ミミズクが目の前を飛び去って行ったので、なぜこんな時分に活動し出したのかと彼は奇怪に思い、彼に聞いた。「ミミズクの兄貴、なぜそんなに急いでいるのですか?一体どこに行こうとしているのですか?」。

ミミズクはキジバトをちらりと見やると、すぐにちょっと立ち止まり答えた、「引越しするんだよ。東の方に引っ越すんだ」「でも、一体なぜ?」「だって、皆が俺の鳴き声を嫌だっていうからさ。だから東の方に引っ越せばいいと思ったまでだよ」「でも、あなたが鳴き声を変えることができれば、引っ越しも悪くないでしょうけど、あなたが鳴き声を変えることができないのであれば、東の方に行っても同じことじゃないですか」

(竜崎)

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