1682年から1789年のフランス革命まで、歴代のフランス国王は、有名なヴェルサイユ宮殿で生活し、仕事をし、執務を行ってきました。
この伝統は、ルイ14世が山頂にあった父親の狩猟の館を増築し、豪華な邸宅にしたことに始まります。それからの50年の間に、ヴェルサイユはヨーロッパで最大かつ最も影響力のある宮殿となり、建築、音楽、演劇、装飾芸術といった偉大な芸術形式の発明の源となりました。
言うまでもないことですが、ヴェルサイユ宮殿は一人の建築家が設計したわけではなく、当時のフランスの優秀な建築家が何人も設計したものです。その中の一人、ルイ・ル・ヴォー(Louis Le Vau)は、ルイ14世の時代に王室の主席建築家に任命され、建築史上、フランス古典様式の確立に大きく貢献した有名なフランス・バロック建築家です。
ル・ヴォーは、晩年の時間をヴェルサイユ宮殿の設計に費やしました。彼は、庭園のファサードを古典的なスタイルに変えただけではなく、元の宮殿の両端に左右対称の建物を増築し、宮殿のプランをU字型に変えました。前庭の両側の建物の中には、国王と女王のための独立した豪華なスイートルームが設置されていましたが、1701年には、国王の寝室がU字型の中央部に移されました。
残念ながら、ル・ヴォーは生前に自分のデザインした完成品を実際に見ることはできませんでした。その後、ヴェルサイユ宮殿の設計は、ジュール・アルドゥアン=マンサール(Jules Hardouin-Mansart)に引き継がれ、何箇所の改築が加えられました。有名な建築家に生まれたアルドゥアンは、1674年にルイ14世に採用されて王室の建築家のチームに招待されました。その後ヴェルサイユ宮殿の増築工事を担当するようになりました。
アルドゥアンは、ヴェルサイユ宮殿の設計において、再び宮殿を拡大し、有名な鏡の間と王室礼拝堂を増築し、宮殿の北西部に大トリアノン宮殿を作りました。大トリアノン宮殿は、ルイ14世が宮廷の生活に合わせた隠れ家として設計したものです。アルドゥアンは、「美しい庭園を持つ小さな宮殿で、ピンクの大理石とポルフィリー(火成岩)で造られている」と表現しています。
アルドゥアンは、複雑で巨大なプロジェクトをこなす優れた建築家でもあり、異なる建築家との共同作業を得意とする天性の外交官でもありました。彼は、パリのヴィクトワール広場やヴァンドーム広場の空間デザインなど、フランスの太陽王の栄光を示した数多くの有名なモニュメントを残しており、後世の学者からはフランスのバロック建築の第一人者として評価されています。
ルイ14世の曾孫であるルイ15世は、建築家のアンジュ=ジャック・ガブリエル(Ange-Jacques Gabriel)を指名して、ヴェルサイユ宮殿のロイヤル・オペラ・ハウスの増築工事を行わせました。1770年に完成したこの劇場は、ルイ14世の構想を実現しました。バロック様式から新古典主義様式へと移行する時代の背景に、ガブリエルは、有名なコンコルド広場やパリ軍事学校など、2つの様式のバランスを慎重に考慮した建築デザインを残しました。
1833年、国王ルイ・フィリップ1世(King Louis-Philippe)は、ヴェルサイユ宮殿にフランス歴史博物館という新たな重大な役割を与えました。1837年に設立されたこの博物館は、「フランスのあらゆる栄光」をアピールすることを目的としています。
(翻訳担当 柳成蔭)
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