nikonersb / PIXTA

「罪深き男」の悔恨と再起

陳忠(仮名)という名の、私の知人のお話をさせていただきます。

陳忠は、私にとってはまさに知人であり、「友人」といえるほどの関係ではないと思います。なぜならば、私の友人には、彼のような荒れた生活をする人間はいないからです。そのうえ私は、陳忠とは長らく会っていません。

しかし、陳忠がこれからどのように変わっていくか、あるいは今どのように変わったか、それを見届けなければならない義務が、私にはあると思っています。

それは1995年、もう20数年前のことです。当時33歳だった陳忠は、私に向かって「俺はもう、こんな生き方は止めたい」と言って、悲痛な胸の内を語り始めました。

私は、まずは彼に全てを吐き出させたほうが良いと思いましたので、その日の自分の所用をキャンセルして、彼の言葉を黙って聞くことにしました。

陳忠の話は、以下のような内容でした。

1

始まりは、30年近く前の90年代初めのこと。陳忠は、中国の新しいリゾート地として注目されていた海南島(それは陳忠の出身地でもあります)での事業を、順調に成功させていました。彼は(中国における)80年代の改革開放に続く90年代のバブル景気のなかで、それなりに事業に成功して金銭を得た、典型的な若手実業家だったのです。

事業を成功させるのは結構なことです。ただ、どこにでもいる典型的な金持ち連中と同じく、その不健康で不道徳な生活ぶりは、陳忠も例外ではありませんでした。

毎日、煙草を3箱吸い、ビールを10本飲み、同類の連中とつきあってギャンブルに浸りました。夜の繁華街で、陳忠は酒色三昧の生活を送っていたのです。

彼には、数年前に結婚した妻がいました。美しく気立ての良い妻と、はじめは仲良く、幸せな生活を送っていましたが、事業に成功して大金を手にするようになってからは、さまざまな「悪い癖」を身に着けてしまいました。

2

1992年の初め頃から、陳忠は、妻に隠れて愛人をもつようになりました。相手は、内陸部の農村から海南島へ出稼ぎに来ていた若い娘です。借りたマンションの一室に愛人を住まわせて、妻がいる身の陳忠は、半同棲のように入り浸りました。

陳忠の家庭は、ほどなくして崩壊しました。その崩壊した家庭の、形ばかりの夫婦に子供が生まれました。

出産後1カ月たっても、陳忠は妻に優しい言葉一つかけることはありませんでした。親戚や周囲から叱責されても、陳忠は悔い改めることなく、こそこそと愛人のもとへ通っていたのです。

陳忠のほうから妻へ離婚の意思を告げましたが、妻はその申し出を拒否したため、離婚成立には至りませんでした。

3

私から見ても、陳忠の不貞ぶりにはあきれてしまいます。

ただ、中国共産党の幹部から民間の事業家に至るまで、「金と権力があれば、複数の愛人をもつことを競い合う」が常態化している現代の中国において、珍しいことではなかったのです。

陳忠の罪は、さらに救い難いものとなります。ついには、何の落ち度もない妻に暴力をふるい、その妻と子供を追いやって、妻の郷里へ帰してしまいました。

以来、陳忠は公然と愛人と同居するようになり、94年の6月には、二人の間に男の子が生まれます。

しかし、心は、確実に虚しくなりました。

自業自得とはいえ、ここに至って陳忠は、自分の犯した罪の深さを思わざるを得なくなったのです。

「妻子を捨てて愛人に走ることが、悪いことだとは分かっている。だけど、共産党のお偉方だって、皆やっているじゃないか」。

そう言って、ごまかしながら今日まで来てしまった自分。その恥ずべき自分に対し、深い悔恨とともに、陳忠はようやく向き合い始めていました。

4

陳忠のほうは私を、自分の懺悔話を聞いてくれる唯一の「親友」だと思って来たらしく、以上のことを、よどみなく、自分のみにくい臓腑を吐き出すようにしゃべりました。

「だけど俺、もうこんな生き方は止めたいんだ」。

私の前で首をうなだれる彼の口から出た次の言葉は、これでした。まだ30代の初めだった陳忠ですが、酒と煙草と不道徳な夜遊びで、自分の体と精神状態がボロボロであることも告白しました。

陳忠が、そう私に語ったのは95年の3月でした。私は、彼の後悔と自責の念が本物であると見て、2冊の書籍を紹介しました。

その2冊の書名は『中国法輪功』『轉法輪』です。

陳忠は、私が紹介したその2冊を「引き寄せられるように読んだ」といいます。そして、豁然として自己の過ち、自己の醜さ、自己の汚さ、自己の悪さ、自己の思い違いを、心の底から思い知ったと、後日私に語りました。

「今さら許されることではないし、妻が戻ってくるとも思えないが、とにかく妻に謝ろう」。

何よりもまず、そう考えた陳忠は、子供をつれて実家へ帰っていた妻を訪ね、心から謝罪しました。

妻は、子供とともに陳忠のもとへ帰りましたが、本当に夫である陳忠が悔い改めたかどうか、その行動を約3カ月観察していました。夫の改心は、どうやら本物であると分かりました。

5

妻が戻ってくる前に、愛人であった農村出身の娘にも、陳忠は謝罪し、自分が今までと同じようにはできないことを話しました。

「私は法輪大法修煉者になったから、今までの人生の全てを悔い改めて、やり直したい。どうか許して欲しい」。

その愛人、いや、陳忠と何かの縁があってひと時を一緒に過ごし、子供までもうけた農村出身の女性は、はじめは陳忠の話が理解できず、不服でしたが、しばらくしてから子供を連れて郷里へ帰りました。

陳忠が、その女性にどれほどの補償金を渡したか、私は知りたいとも思わないので、聞いていません。

ただ後日、その女性から陳忠に電話があったらしく、それによると、女性が郷里で見つけた新しいパートナーは、彼女の子供もふくめて大切にしてくれている、ということでした。

過ちを償うには、本当に長い時間がかかります。陳忠の場合も、それは同様です。

陳忠は、私が紹介した法輪大法(ファルンダーファー)の書籍を読み、それを人生の転機として自己の罪を悔い改め、法輪大法の教えである「真・善・忍」に従って新しい人生を歩み始めました。しかし、それだけで「大団円」というわけにはいきません。

6

私自身が法輪大法を学ぶ身であるから言えることなのですが、修煉というものは、たゆまず続けられる厳粛な努力であり、円満成就に至るまで終わらない業(ごう)の返済と自身の向上の道なのです。

いま修煉の門に入ったばかりの陳忠は、現世で自分が積んだ悪業と、前世で先祖が犯してしまった罪の業という「二重の業」を、これからの人生で懸命に返済しなければなりません。

それは本当に大変なことなのです。

道徳が失われ、社会が極限まで荒廃した今の中国で、かろうじて正気を保っている人は、もはや稀有な存在となりました。

本来は人間として当然である道徳を堅持している人は、まさに中国共産党に迫害される側にいるのですが、往々にしてそういう人は、周囲から嘲笑されたり、奇異の目で見られたりします。

陳忠が、その不道徳な行為によって家族や周囲の人を傷つけた罪は、まことに重いものです。しかし、彼は生きているうちに法輪大法に出会い、その教えにしたがって、いま自分の人生を再生させようとしています。

暗黒の海底へ沈む巨船から、間一髪で救われたとするならば、陳忠は、自身の幸運を喜ぶべきだと言えるでしょう。

ただし、彼の決心が本物だったかどうか。私は、それを確かめるため、久しぶりに陳忠に連絡をとり、会ってみようかと思っています。

(翻訳編集・鳥飼聡)

関連記事
閉経期を迎えた女性にとって運動がもたらす驚くべき健康効果とは?筋力トレーニングで体調改善や骨密度向上を目指す方法を紹介します。
寒い冬には腎臓ケアが不可欠。中医学に基づいた食事法や冬の健康維持に役立つレシピで、体を温め、バランスを整えましょう。
人はみなあくびをするが、その原因はあまり分かっていないそうだ。普遍的な認識では、あくびは酸欠、疲労、眠い、気がゆるくなるときの反応である。 猫、犬、蛇、鳥、魚もあくびをする
乳がん予防と治療法を知り、心身の健康を支える重要な情報が満載。検診や治療、サポート体制のポイントを専門家が解説します。
脳の退化を防ぐために、食生活や生活習慣の見直しが重要です。呉国斌氏が提案する認知症予防法と脳を元気にする食材を紹介。健康な脳を守るための実践的な方法とは?