タリバンとパキスタンの知られざる国境問題(二) 呪われた歴史
アフガニスタンとパキスタンの間には、「デュランド・ライン(Durand Line)」と呼ばれる細長い紛争地帯がある。8月、政府軍の抵抗もむなしくカブールが陥落すると、新しく政権を樹立したタリバンは隣国パキスタンとの領土問題を持ち出した。そして、アフガニスタン人は現在の国境を認めていないと発言した。
実は、タリバンの指導者の多くはパキスタンに拠点を構えていた。隣国を制圧してすぐ、「本国」ともめるのは一体どのような考えに基づく行動なのか。アフガニスタンとパキスタン両国の間に存在する一本の境界線について、専門家の見解を交えつつ、その歴史を紐解く。
「それ以来アフガニスタン政府は、この境界線が歴史的な伝統に反しており、法的にも違法であるため抗議を続けてきた」とインド外交官のドグラ氏。「デュランド・ラインはその地に住む家族や人々の土地を恣意的に分割するものだった。これこそパシュトゥーン人が反発する理由だ。パシュトゥーン人はその後も以前と変わらぬ生活を続け、婚姻や貿易を通して部族間のつながりを維持してきた」。
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