鏡を教師にして 美しい一日は心から始まる(2)

内面のを修めるその二:生活の態度

宋代の偉大な作家である蘇東坡佛印和尚は仲良しで、仏教についてよく話し合ったという有名な話があります。ある日、二人が一緒に瞑想をしていたときの事です。

蘇東坡は「禅師、私がここに座っているとき、どのように見えますか?」と佛印和尚に尋ねました。すると佛印和尚は「仏様のように見える」と返事しました。
その和尚の返事を聞いて蘇東坡は今度は苦笑いをしながら「あなたは却って大便の塊のように見えた」と言いました。それを聞いた佛印和尚は微笑しながら何も返事しませんでした。

蘇東坡は心の中で得したように喜んで、家に帰って妹にこのことを話しました。
妹は兄の話を聞くと、「『相は心から生じる』(悪い事をすると顔に表れるから、表情は心の表現という意味)と言います。佛印禅師の内なる心は純粋で清浄だから禅師の心の中には仏が宿っています。だから他人を見つめると仏のように見えます。兄さんは心の中に妄想と汚い心が飛び散り、不潔で不純な考えは大便のふりをしていて、他の人を見ると大便のように見えています」と話しました。私たちが心の中で考えていることは、鏡のように生活の中に反映されるのです。

また有名なロシアの作家、レフ・トルストイは50歳くらいから宗教を信じるようになり、その信仰でトルストイは厳しく自己を律し、菜食主義者に変わり、喫煙、アルコール依存などの今までの贅沢な生活習慣をやめました。彼の三度の食事も質素になり、修行する和尚のように自給自足の素朴な生活を続けたのです。こんな彼の生活に対する厳格な態度も鏡のようであり、常に彼の内面の自己検査と反省を反映しています。

西洋にも「As within, so without;as above, so below」(つまり、上の如く、下も然り。内の如く、外も然り)のような古代のことわざがあります。人間の内なる精神的な世界と外的な物質的な世界もまた首尾一貫して調和しています。

しかし、「人」が普段自分の内面の考えを振り返ることはめったにないものです。心が混乱していると、その人の人生も混沌とした無秩序なものになります。言い換えれば、心が悲しくて泣きたい人は、その生活も物足りない悲しい生活に決まっています。逆に、心が幸せなら、人生は楽しく幸せになります。

良い人生を送りたいのなら、まずは心を修める

私たちの生活の中で、私たちは皆、多くの紆余曲折に遭遇します。運命は私たちを助ける良い鏡であるため、私たちの生活に現れるすべての人は、あなたに幸せまたは困難をもたらすかどうかにかかわらず、そのすべての人は大切にされるべきです。なぜなら人と接することにより、自分の弱点と強みを知り、弱みを改善し、全ての事に前向きな姿勢で対処するようになるからです。

人生は10回のうち8、9回は物足りないし、悲しいかもしれません。悲しみの理由が100あるとしたら、私は努力して、少なくとも101の楽しみになる理由を探し出します。人生は常に前進するモチベーションを持つ必要があります。これは私がいつも心に正念を持って善心で心を照らすからです。

心が良い人は、他の人がどんな風に接しても、常に平和で親切な態度をとって他人に対処していると思います。なぜなら、これが彼の内なる耕作であり、平和と美しい心の表れです。あなたが良い人生を送りたいのなら、あなたは最初に自分自身を育てなければなりません! 「心」から出発しましょう。

(翻訳・郡山雨来)

 

王知涵