「文苑図」五代南唐の宮廷画家・周文矩作(パブリックドメイン)

「信無くば立たず」 友人との間の信 【雅(みやび)を語る】

孔子は「信無くば立たず」と説きました。なぜ「信」がこれほど重要なのでしょうか。

ひとりの人間が社会で立脚するためには、まず人々の信頼を勝ち取らなければなりません。信頼を得てからこそ、応援や手助けなどをしてもらえるのです。信頼関係がなければ、前には進めません。

周王朝の幽王は褒姒(ほうじ)という美女を寵愛していました。褒姒は笑うことがなく、幽王はなんとか彼女を笑わせようと、兵乱発生の合図である烽火を上げさせました。

古代では、烽火は有事の際、危険を知らせる仕組みとして非常に重要視され、攻撃を受けた時のみ、火をつける事になっていました。しかし、烽火を見て軍を緊急召集し、慌てて駆け付けた諸将の目の前に広がったのは、笑みを浮かべた褒姒と大いに喜んでいる幽王でした。

その後、幽王は褒姒を笑わせようとしばしば無意味に烽火を上げさせ、何度も無駄足を運んだ諸将は幽王を信じなくなってしまいました。そしてついに、本当に反乱が起き、幽王は軍を召集しようと烽火を上げさせたものの、誰も集まらず、結局、幽王は殺され、西周も滅ぼされました。

「信無くば立たず」は古代だけでなく、現代でも通じる理です。友人との間だけでなく、家族との間においても、恋人の間においても同じです。信頼関係の礎があるからこそ、心が通じ合い、お互いに支え合っていけるのです。

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