高智晟著『神とともに戦う』(49)障害児の無念を晴らすために④

【関連記事】

高智晟著『神とともに戦う』(48) 障害児の無念を晴らすために③

相手は権力者だったので、この裁判の判決はなかなか下りなかった。春節(旧正月)の前、私は辛辣な言葉を添えたファックスを裁判所に送ったほか、原告の子供には200元を送金した。通信欄には「新疆の高おじさんは忙しくても、君のことを片時も忘れたことはないよ」と書き添えた。

春節の前日に祖母一家から電話があり、原告の精神的苦痛に対する20万元を含め、41万元(約510万円)の賠償を命じる一審判決が下ったことを知った。彼らは嬉しそうだったが、私の心は弾まなかった。なぜなら法律の規定によれば、この賠償金額――41万の2倍ですら、彼らの味わってきた苦しみを癒(いや)せはしないからだ。

この年の春節は、ずっとこの件が私の心に重くのしかかっていたので、気持ちが沈んでいた。上訴した場合、万が一にでも二審で、この20万元の精神的苦痛に対する賠償すら却下されたらどうするか。

実際、今日まで精神的苦痛に対する賠償額で20万に達した案件は、中国全土で4件しかない。そのうち3件は私が弁護した。しかしもし上訴しなければ、この子の合法的権利が十分に守られないことになる。もちろん、上訴すれば別の問題も生まれる。また新疆と東北を、私が何度も往復しなければならなくなるのである。

最終的に、私はやはり上訴を決意した。1999年4月19日の開廷に合わせて、私は16日に瀋陽に到着した。今でもはっきりと覚えているのは、その日が私の娘の誕生日の前日だったからである。二審では相手が増えていた。子供を最初に弁護した「周鉄嘴」が多額の報酬に目がくらみ、なんと被告側の弁護人になっていたのである。我々弁護士の中にこれほど無節操な者がいたことは、非常に胸が痛む現実である。

二審でも我々は、完全な勝利を収めた。法廷の最終判決は、原告の子供へ83万7千元(約1000万円)を賠償するよう病院に命じるものだった。これは中国における医療事故の賠償としては、最高額である。

しかし、7年にわたる陳情は、この一家の健康をめちゃめちゃに破壊していた。7年間、彼らは駅や船着き場、歩道で眠り、拾った残飯や施された食物で飢えをしのいできたのだ。偉毅くん――不幸な医療事故に遭ったこの子供が私に自慢げに見せてくれた何枚かの写真は、どれも国務院の陳情所や最高人民裁判所の陳情所の入り口で撮られていた。

かつて子供が高熱を出したので、祖母は被告の病院に医療費を負担してくれるよう頼み込んだが、病院側の警備員4名は、祖母を担ぎ上げて門の外に放り投げたという。帰宅した祖母は、包丁を振り上げて自分の小指の先を切り落とし、天に誓った。「この裁判に勝てないなら、死あるのみ!」

いわゆる「権利を守る」闘いにおいて、被害者が身も心も限界まで削るような代価を払ってきたことが、ここから窺われるだろう。私は彼らに「この裁判が8年、10年と続いたら、皆さんはずっと健康かもしれませんね。一旦勝訴したら、張りつめていたものがぷつんと切れて、倒れてしまうかもしれないから」と、冗談まじりに言ったことがある。

一家に別れを告げる時にも、こんな「知恵比べ」のエピソードがあった。祖母は「裁判も終わったから、私の願いを聞いてくださいよ。これは私が嫁と孫に買ってこさせた海の幸です。先生、絶対に持ち帰ってくださいね」と箱を一つ差し出した。「はい、いただきましょう」と、ひとまず快諾した私は、祖母が必死に止めるのを押し切って、その箱を開けた。やはり、私の予想通りだった。中からは、2万元が入ったプラスチックのケースが出てきた。私が、そのお金を取り出すと、祖母は「高先生。先生には一生かないませんね」と涙を流した。

 (続く)

【関連記事】

高智晟著『神とともに戦う』(50) 障害児の無念を晴らすために⑤