寄付金額が書かれたボードを日本台湾交流協会台北事務所の片山和之代表(左から2人目)に手渡す呉釗燮外交部長(右から2人目)。(台湾中央社より)

「日本に恩返ししたい」 台湾から友情のエール、震災義援金口座に25億円超集まる

石川県能登地方を震源とする地震の発生は、令和6年(2024)の元旦であった。

新年の初めに、日本の北陸を巨大地震と津波が襲った。これを「日本有事は、台湾有事だ」と受けとめ、中華民国(台湾)当局は1月4日、日本の被災地支援のため約6千万円の寄付を発表するとともに、日本の被災者に向けた義援金口座を開設した。

以来、台湾内外の民間からの支援金を受け付けた日本向け義援金口座には、およそ13万4000件の寄付が寄せられた。この15日間で、日本円に換算して総額25億円余りが集まったという。台湾外交部(外務省)が26日、発表した。

集まった寄付金を日本側へ贈る式典が26日、台湾外交部で開かれた。

呉釗燮(ごしょうしょう)外交部長(外相)は記者会見で、地震と津波で大きな被害を受けた石川県と台湾の間にある「100年前から固く結ばれたご縁」について紹介した。

そのなかで呉氏は、日本統治時代の台湾で治水事業に尽力した技師の八田與一(はったよいち)が、石川県金沢市出身であることに触れた。

八田與一が建設を監督した烏山頭ダムは、水力発電設備を有するとともに、台湾の嘉南平原に農業用の灌漑用水をもたらし、この地を実り豊かな沃野に変えた。その功績を称え、台湾の人々は今でもこの烏山頭ダムを別名「八田ダム」とも呼んでいる。

呉氏は「台湾は日本に恩返ししたい。台湾と日本の絆は、最も必要とされる時に(相手の)最も強い後ろ盾となることだ」と強調した。

呉氏はまた「落ち着ついた頃に、台湾人はきっと連れだって被災地の人たちを元気づけに行きます」と述べると、日本語で「ニッポン、ガンバッテ」「イシカワ、ガンバッテ」と励ました。

台北駐日経済文化代表処もこの日、公式SNSで、同じように「落ち着ついた頃に、台湾人はきっと連れだって被災地の人たちを元気づけに行く」と述べ、日本へ向けて「日本加油、石川加油!」とエールを送った。

台湾国語(中国語)の「加油(ジァヨウ)」は、親しい相手を「がんばって!」と励ます友情の言葉である。

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