1世紀と20数年もの間、まるで美術館のような豪華な鉄道の食事を味わおうと、覗き見趣味のパリの美食家たちが集まってきました。フレスコ画に囲まれ、豪華にくつろぎながら、彼らは「ル・トレイン・ブルー」として知られる金の装飾が目立つフランス料理レストランで食事を楽しんでいました。
パリは、芸術、文化、科学、そして大いなる楽観主義が支配するベル・エポック(美しき時代)の絶頂期にありました。1900年の万国博覧会開催中、賑やかなリヨン駅にレストランが登場しました。斬新なアール・ヌーヴォー様式の建築であったものの、レストランの壁や天井には、まだ伝統的な装飾や芸術作品が飾られていました。
ル・トレイン・ブルーの客に列車の旅気分を味わわせるのは簡単です。レストランは、リブ状のパネルと仕切りのアーチが連続する鉄道車両のように設置され、「旅行者」をさまざまな「列車」のキャビンに分けています。アーチ型の大きなガラス窓の外には、フランスの素朴な田園風景がパララックスに広がっています。
外を眺める必要はなく、壁や天井を見上げれば、フランスの風景が広がっています。その美しい場所は壁画に描かれ、国際貨車製造会社(Compagnie Internationale des Wagons-Lits)によって製造された、濃紺の寝台車から名づけられた伝説の機関車、ブルートレインの停車駅が描かれています。レストランはそのオマージュです。よく見ると、フランス国鉄の頭文字であるPLM(Chemin de Fer Paris-Lyon-Mediterranéeの略)がLe Train Bleuの随所に描かれています。
偉大なるオリエント急行に次ぐ優雅さを誇るブルートレインは、かつて地中海沿岸のフレンチ・リビエラを巡っていました。この豪華な特急列車に敬意を表して、1963年にレストランの名前が変更されました。現在、ブルートレインの有名なパリ~ヴァンティミーユ線は、金色のパネルに囲まれた天井に点在する41枚の鮮やかなフレスコ画の中に生き続けています。
この宝石のような豪華なシーンを仕上げるために、普通の壁画画家ではなく、当時の超一流のフランス人画家27人が召集されました。アカデミーで洗練され、受け継がれてきた何世紀も前の技術は、古典的な遠近法や解剖学を示しています。これらの画家たちは、印象派によって探求された最も精巧な現代の顔料を使用しました。
訪れる客は、ランチやディナーを食べに来たのだろうが、夢を見ているようだと思うかもしれません。まるで美術館かタイムマシンのように、ル・トレイン・ブルーは19世紀末パリの最も保存状態の良い作品のひとつとして建っています。古典的な彫像は、金箔と花輪の中で神話的な人物を描いています。可憐なシャンデリアの長い行列が夢のようにまばゆい。すべてが一体となって、ル・トレイン・ブルーの世界的に有名なエレガントな雰囲気を作り出しています。
名声といえば、ル・トレイン・ブルーは大物映画スターを魅了し、フランス映画の有名な舞台となりました。1990年に公開されたスリラー映画『ニキータ』の舞台となり、フランス人女優アンヌ・パリローが主演しました。フランスのファッションデザイナー、ココ・シャネルや、1970年代を象徴する美しい女優、ブリジット・バルドーなどの有名人も、このビストロを華やかに飾りました。しかし、おそらく多くの人が本当に気になるのは、彼らが何を食べたのかということでしょう。
世界的に有名なフレンチレストランなのですから。ル・トレイン・ブルーは、その伝統的なフランスグルメ料理で、交通界最高のレストランと称されました。1972年には歴史的建造物に指定されました。一部のアンティーク家具は失われていたものの、絵画や彫刻は元の輝きを取り戻し、厨房は完全に近代化されました。現在も、パリで2番目に混雑する駅に向かう忙しい旅行者たちが、ル・トレイン・ブルーに集まってきます。
おっと、ここで忘れてはいけないものがあります。
そう!料理です。
忙しい通勤客や有名スターたちは何を食べたのでしょう?オマール海老をクルミ油で和えたサラダの葉に載せて食べるのが前菜にいいのは知っています。子羊のモモ肉がメニューにあるのは有名です。それを食べたのかもしれません。あるいは、仔牛のチョップにチーズの帽子をかぶせたものもあったでしょう。あ、でも本当の疑問は、バニラとシロップをかけたラムババにふわふわのホイップクリームをトッピングするスペースは取ってあったのだろうか、ということです。
(翻訳編集 呉安誠)
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