適切な栄養と運動は、慢性疾患を予防するための有効な手段として広く知られています。しかし、最近では「迷走神経刺激法」を新たなアプローチとして取り入れる医師も増えています。
機能医学の資格を持つカイロプラクター、ナヴァズ・ハビブ氏は、食事や運動の重要性を強調しながらも、迷走神経が健康維持において大きな役割を果たすと指摘しています。同氏はこのテーマについて2冊の本を執筆しており、その最新作『Upgrade Your Vagus Nerve(迷走神経をアップグレードしよう)』では、迷走神経を刺激する方法やその効果についての研究を詳しく解説しています。炎症の抑制や免疫力の向上など、迷走神経刺激の利点にも触れています。
「私のクライアントには、うつ病や脳震盪からの回復、パーキンソン病の症状の改善、消化不良や過敏性腸症候群(IBS)の緩和など、さまざまな効果が見られています」とハビブ氏は述べています。
迷走神経の理解
迷走神経は古くから、体内の主要な神経ネットワークとして医師たちに知られてきました。この神経は頭蓋神経12本の中で最も長く、脳から腹部まで体のほぼ全てをつなぐ神経です。
「迷走神経は非常に特別な神経です」とハビブ氏は言います。「頭蓋内を離れる唯一の頭蓋神経であり、体内のほぼすべての内臓器官とつながる唯一の神経です」
『迷走』という名称は、ラテン語で『彷徨う(あてもなく歩き回ること)』を意味する言葉に由来します。迷走神経が正常に働いていると、免疫系、心血管系、消化器系、呼吸器系、内分泌系などに広範囲に影響を及ぼします。
迷走神経刺激が治療法として認識されたのは1880年代に遡ります。当時、ニューヨークの神経科医ジェームズ・コーニングが電流を迷走神経に送る装置を開発し、てんかん治療に用いました。しかし、この方法は当時広まらず、約1世紀後の1997年、米国食品医薬品局(FDA)がてんかん発作予防のための埋め込み型デバイスを承認したことで再び注目を集めました。
現代における応用
それ以降、迷走神経刺激はさまざまな健康問題を治療する手段として広範に研究されています。その対象には、糖尿病、肥満、アルツハイマー病、頭痛、心血管疾患、関節炎、睡眠障害、うつ病などが含まれます。
最近では、迷走神経刺激が「ロングCOVID」の治療法として有望視されています。これは、神経の炎症が根本的な原因である可能性があると考えられているからです。
米国疾病予防管理センター(CDC)は、ロングCOVID患者が「軽度から重度までの多様な症状を経験し、他の病気の症状と似ている場合もある」としています。症状にはめまい、消化器系の障害、心拍の急上昇、認知機能の問題、息切れなどが含まれます。
一見無関係に思えるこれらの症状も、迷走神経の不調に起因することがあります。それは、この神経が広範囲をカバーしているためです。
迷走神経の機能
迷走神経は、副交感神経系、つまりリラックス反応を管理することで最も知られています。ハビブ氏は、迷走神経刺激は特定の病気を治すものではなく、体が自ら回復する力を引き出すものだと説明します。
「私たちの体は、交感神経優位の『闘争・逃走』モードにあるとき、回復することができません。回復には、副交感神経優位の『休息・消化・回復』モードに入る必要があります。ここで初めて治癒プロセスが進むのです」とハビブ氏は述べています。
迷走神経が健康に保たれると、慢性疾患の予防に役立つ理由は、炎症を抑制できる点にあります。
「ほとんどの慢性疾患では、制御不能な炎症が病気への共通の道筋です。つまり、私たちはその炎症機能をコントロールすることができるのです」とハビブ氏は語ります。
迷走神経を刺激する方法と技術
迷走神経を刺激するために必ずしもインプラント(一般的に医療器材を人の体に埋め込むことの総称)が必要なわけではありません。実際、人々は何千年もの間、迷走神経について知らなくても、自然に刺激してきました。ハビブ氏は誰でも実践できる簡単な方法として、呼吸法、チャンティング(詠唱する)、ハミング、歌うことなどを教えています。
神経免疫学の専門家J.P.エリコ氏によれば、迷走神経の機能に関する科学的な詳細は近年明らかになりつつありますが、呼吸法のような基礎的な理解は古代から知られていました。ヨガの「プラーナ呼吸」などがその例です。「息を止めてゆっくりと制御しながら吐き出すことで、迷走神経が刺激されます」とエリコ氏は語ります。
深い呼吸は肺の中にある「肺伸展受容器」と呼ばれる特別な神経を活性化し、これが迷走神経を刺激して副交感神経系を活性化します。この副交感神経系は、体の「休息・消化反応」を調整する役割を持っています。「ストレスを感じたり、闘争・逃走モードに入っているときは浅い呼吸しかできないので、これらの伸展受容器を活性化できません」とエリコ氏は補足します。
深い呼吸以外にも、自分で行える迷走神経の刺激法として、ハミング、うがい、チャンティング、歌うことが挙げられます。これらの方法は肺の受容器を使うのではなく、振動を通じて迷走神経を刺激します。声帯が、迷走神経の一部が通る首に近いため、これらの声を出す行為が平穏や安らぎの感覚を徐々にもたらします。
さらに、冷たい刺激を使う方法もあります。2018年の研究では、特に首に冷たい刺激を与えると心臓迷走神経の活動が高まることが分かっています。ただし、これらの自然な刺激方法は電気刺激よりも効果が現れるのに時間がかかります。エリコ氏は「闘争・逃走モードは生存に関わる状態なので、簡単には抜け出せない仕組みになっています。命をかけた状況で突然冷静になってしまうべきではありません」と説明します。
新しい技術による迷走神経刺激
一方、ハビブ氏は電気刺激がより直接的で効率的な方法だと考えています。「電気刺激を使うと、結果がはるかに速く得られます」と彼は言います。「迷走神経自体の回復プロセスを加速させることができるのです」
インプラント型の装置では、迷走神経束に物理的に装置を巻き付け、心臓ペースメーカーのように胸部に設置されたパルスジェネレーター(高速にオンオフする電気信号を発生させる回路)と接続します。これらの装置の費用は数万ドルにも上り、手術費用も必要ですが、特に薬が効かないてんかんの場合、その効果は装置の価格に見合うか、それ以上であると研究で示されています。
この装置はてんかん以外にもうつ病の治療に承認されていますが、医師や研究者たちは刺激を使ってさらに多くの疾患を治療する可能性を探る中で、より安価で非侵襲的な装置への関心を高めています。一つの選択肢は、耳の近くに電極を配置するウェアラブルデバイス(身に付けられるデバイス)です。現在、マサチューセッツ総合病院がこの方法を消化器系疾患の治療に使うための大規模な臨床試験を行っています。
しかし、ハビブ氏は別の選択肢を好んでいます。彼自身や患者が使っているのは、300~500ドル程度の小型ハンドヘルドデバイスです。このデバイス「Truvaga」は、1990年代から医療機器を開発してきたエリコ氏によって開発されました。彼は250以上の特許を持ち、神経刺激装置のアイデアを長年温めてきたといいます。
エリコ氏は、脳深部刺激法を用いてパーキンソン病や本態性振戦を治療していた神経外科医との議論が、迷走神経刺激デバイスを開発するきっかけになったと語っています。「正しい場所を正しいパラメータで刺激すると、患者の震えを止め、症状を副作用なしで完全に消すことができる。その結果に驚かされ、私はこの分野に関わりたいと思ったのです」と彼は述べています。
彼のチームが開発したデバイス「gammaCore」は、FDAによりさまざまな頭痛の治療に使用される初の非侵襲的迷走神経刺激デバイスとして承認されました。現在も処方箋が必要ですが、Truvagaは直接購入できる消費者向けバージョンです。さらに、軍事用途向けには「TAC-STIM」というモデルもあります。これは「戦術的優位性(Tactical Advantage)」を意味する名前が付けられており、迷走神経刺激が認知力向上に寄与する可能性を探るため、軍隊での研究が8年以上にわたり行われているといいます。
研究と有望な成果
この研究は、国防高等研究計画局(ダーパ・DARPA)が主導する「TNT(Targeted Neuroplasticity Training:標的神経可塑性訓練)」プログラムの一環として実施されています。このプログラムは、非侵襲的な神経技術を活用し、トレーニングと組み合わせて新しい認知スキルの長期的な保持力を向上させる可能性を探るものです。
今年初めにNature誌に掲載された研究によると、エリコ氏のデバイスは、軍が求める能力向上を実現できる可能性が示されました。この研究では、デバイスを使用した被験者が第二言語の語彙を習得し、保持する能力を向上させたことが確認されました。さらに、この効果は、最終テスト時に刺激を行わなくても、24時間後の試験でも維持されていました。また、このデバイスは疲労を軽減し、集中力を向上させる効果も確認されています。
被験者は「米国国防総省の主要な語学学校に所属する、選抜されたキャリア言語学者」でした。
「彼らはすでにモチベーションが高く、集中力があり、自分の仕事に優れた人々です。それでも、すべての場面で25%から40%の改善を示すことができました」とエリコ氏は語っています。
エリコ氏のデバイスは、耳を刺激するデバイスよりも優れた成果を示しました。研究者はこのデバイスについて「語学教育や認知スキルの集中的な訓練を行う教育機関で活用できる、効果的な学習促進ツール」と評価しています。
精神的な鋭敏さ向上の科学的背景
迷走神経を刺激することで、なぜ精神的な鋭敏さが向上するのでしょうか? エリコ氏によれば、迷走神経を刺激すると、アセチルコリンという化学物質が放出されるのが理由だといいます。
「このアセチルコリンは脳全体を巡り、炎症によって気を取られている免疫細胞を鎮めます。それによって集中力が向上し、脳が最適に機能するようになるのです」と彼は説明しています。
エリコ氏は、最近出版した著書『The Vagus-Immune Connection(迷走神経と免疫のつながり)』の中で、迷走神経刺激の科学的背景を詳しく解説しています。
迷走神経刺激には多くの利点が報告されていますが、この神経には脆弱性もあります。一部の人では、誤って迷走神経が不適切に刺激されると負の反応を引き起こす可能性があるのです。この反応は「血管迷走神経反射(vasovagal response)」として知られ、痛みや感情的な動揺によって引き起こされることがあります。この状態になると、めまいや急激な血圧低下、さらには失神や気絶(シンコペ)を引き起こす可能性があります。
しかし、エリコ氏は「Truvaga」デバイスではこのような反応が起こらないと保証しています。
「迷走神経束には、徐脈や気管支収縮、シンコペを引き起こす『C線維』と呼ばれるさまざまな種類の線維がありますが、これらが活性化されるには、デバイスがターゲットにしている『A線維』よりも15~20倍高い刺激閾値が必要です」とエリコ氏は説明します。「つまり、私たちのデバイスはこれらを刺激しない仕組みになっています。実際、このデバイスはそのような高レベルの刺激を行うことができないのです」
安全性と使用ガイドライン
Truvagaは安全で簡単に使用できるよう設計されていますが、ペースメーカーや補聴器を装着している人は使用を避けるようマニュアルで注意が促されています。また、強い電磁場の中や、首に傷、発疹、感染症がある場合にも使用しないよう警告しています。
フロリダ州ウェストパームビーチで統合医療の家族診療を行う認定医療助手のエリザベス・トリンガリ氏は、このデバイスを2年ほど患者に使用しており、良好な結果を得ていると述べています。
「奇跡的です」とトリンガリ氏は言います。
彼女は、40歳の女性患者の例を挙げました。この女性はパニック発作を起こしていました。「彼女は完全に取り乱していました」とトリンガリ氏。「心臓発作ではないか確認するために救急車を呼びました」
しかし、Truvagaデバイスを使用して数分後、その患者は落ち着きを取り戻しました。「彼女は救急隊員に『もう大丈夫』と伝え、まるで別人のように落ち着きを取り戻していました」とトリンガリ氏は語ります。
迷走神経刺激が副交感神経系を活性化することができるため、トリンガリ氏はTruvagaが交感神経優位に陥っている患者にとって非常に有用であると述べています。
「私たちのところに来る患者は、慢性疾患を抱え、何年もの間闘争・逃走モードから抜け出せなくなっています」と彼女は言います。「20種類もの薬を飲み、あらゆる治療法を試してきた患者たちです」
トリンガリ氏は患者にオフィスでデバイスを試してもらい、気に入れば自宅用に購入することを勧めています。結果がすぐに現れる場合もあれば、時間がかかる場合もあります。
「患者は『なんだか調子がいい気がする』と言います。そして、毎日使い続けてもらえれば、検査結果が変わり、エネルギーが増し、私が行う他の治療にもよく反応するようになります」とトリンガリ氏は述べています。
Truvagaの使用方法
Truvagaはトランプサイズのデバイスで、左側の首に2つの金属電極を配置して使用します。
「脈を感じるあたりです」とエリコ氏は説明します。「そのくぼみに電極を置き、振幅を調整し始めます。最初に感じるのは皮膚の表面にわずかなチクチク感です」
エリコ氏によれば、このデバイスが狙う首の部分は、刺激を与えるのに最適な場所だといいます。「その部分には最も多くの神経線維が集中しています」と彼は述べています。
接触ジェル(心電図検査で使われるもの)を少量使用することで、デバイスから皮膚への電流を効率的に伝えることができます。ユーザーはデバイスの振幅を調整でき、最初は低めに設定し、慣れてきたら強度を上げることが推奨されます。
エリコ氏は、動物にも効果があるといいます。「デバイスを見ると犬が首を出して転がり、落ち着きます。彼らも気に入っているようです」と彼は言います。
最も安価なモデルは「Truvaga 350」と呼ばれていますが、使用回数に制限があります(2分間のセッションが350回、1日2回使用で約6か月分)。より高価なモデルは使用回数に制限がありませんが、スマートフォン用のアプリが必要です。
(翻訳編集 華山律)
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