古代ローマから学ぶ重要な教訓:家族と社会の腐敗
歴史家たちは、ローマの崩壊について分析することに飽きることがありません。その原因は数多くありますが、しばしば見落とされる要因の一つが、ローマの家族の腐敗と、帝国崩壊の数世紀前に起きた人口減少です。
ローマの本来の偉大さは、部分的には家族への献身に支えられていました。ローマを代表する叙事詩(英雄の物語を語る長編詩)『アエネーイス』の中で称賛された古典的なローマの美徳の一つが、「ピエタス(敬虔さ/義務と献身の精神)」です。この言葉は、自分の家族、特に両親、そして神々や祖国に対する深い献身を意味していました。初期のローマ人は、結婚、忠誠、名誉を重んじ、自己放縦(欲望のままに振る舞うこと)を軽蔑していました。彼らの成功は、少なくとも部分的には、これらの美徳によるものと考えられます。
これとは対照的に、ローマの衰退は、これらの価値観の放棄と並行して起こりました。ジェローム・カルコピーノは著書『古代ローマの日常生活』の中で、ローマ共和国の時代には離婚はまれでしたが、帝国後期には頻繁に起きていたと説明しています。離婚の増加はローマの家族の安定を弱体化させ、社会の基盤を揺るがしました。カルコピーノは、「都市でも宮廷でも、ローマの短命な家庭は絶えず混乱し、あるいはむしろ、再び形成されては解体されることを繰り返し、最終的に老いと死が訪れるまで続いた」と書いています。
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