カラヴァッジョの「ペトロの否認」は、物語全体を語ろうとしない。画面に描かれているのは、夜の中庭で問いかけを受け、視線を逸らし、言葉を選ぶ一人の男だけだ。奇跡も後光もなく、否認が生じるその瞬間が、強い明暗の中に切り取られている。
この主題自体は、カラヴァッジョ以前から繰り返し描かれてきた。しかし彼が描いたのは、信仰が揺らぐ一瞬の心理だった。エルサレムでの「最後の晩餐」の席で、イエスは弟子の一人ペトロに対し「鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」と言ったという。
ペトロは、イエスの十二使徒の中でも指導的な立場にあった存在で、後に初代ローマ教皇となった。ペトロは、イエスのその言葉に対して「あなたと一緒なら、牢に入ることも、死ぬこともいとわない」と答え、自身がイエスを否認する可能性を否定した。
晩餐の後、イエスと弟子たちはゲッセマネの園に移動した。そこでイエスは祈りを捧げている最中、裏切り者のユダに先導された群衆によって逮捕された。弟子たちはこの場で散り散りになったが、ペトロはイエスのあとを追い、裁判が行われていた大祭司の屋敷まで同行した。
夜、屋敷の中庭で火にあたっていたペトロに対し、その場にいた女中や人々が「あなたもイエスと一緒にいたのではないか」「あなたもイエスの弟子の一人ではないか」と声をかけた。その問いかけにペトロは「そんな人は知らない」「何のことかわからない」と答えてしまった。
そしてペトロは三度にわたってイエスとの関係を否定した。三度目に「知らない」と言った直後、イエスの予言通り鶏が鳴いたという。このときペトロは、最後の晩餐の席でイエスが語った言葉を思い出し、涙を流したとされている。ここで描かれたのは、強い信仰を持っているはずの人間が、恐れの前で揺らぐという、現実的な感情である。
宗教改革を経た17世紀は、信仰が制度や教義の問題であると同時に、個人の内面で引き受けられるべきものとして捉え直されていった時代だったとされる。
この場面は、カラヴァッジョの後にレンブラント、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールなど後続の画家たちにも取り上げられた。

この場面は、絵画のみならず、演劇、詩、彫刻など17世紀の芸術家たちにとって特別な意味を持っていたといえる。絵画が「否認の瞬間」という心理的な火花を捉えたのに対し、音楽はその後に訪れる「慟哭」を表現した。
有名なところでは、J.S.バッハが『マタイ受難曲』において、ペトロの否認の直後にアルト・アリア「神よ、憐れみ給え(Erbarme dich)」を置いている。ヴァイオリンの独奏に導かれる悲痛な調べは、取り返しのつかない自覚と悔恨を静かに掘り下げていく。 この「否認と悔恨」というテーマは、絵画や音楽のみならず様々な芸術を通して、当時の人々、そして後世の人々に綿々と感銘を与え続けた。
実はカラヴァッジョは、晩年の『ペトロの否認』より以前に、ペトロの最期を描いた『聖ペテロの磔刑』を完成させている。そこでは、老いたペトロが逆さまに十字架へかけられようとする姿がある。

そこでは老いたペトロが逆さに十字架へとかけられようとしている。伝承によれば、彼は師のイエスと同じ形で処刑されることを望まず、より苦痛を伴う逆さ磔を選んだとされる。
伝承によると使徒ペトロがローマ帝ネロによる迫害の激化したローマから逃れようとアッピア街道を歩いていた際、反対側からイエスと出会い、「どこへ行かれるのですか(クォ・ヴァディス)」と問うたという。するとイエスは「あなたが私の民を見捨てるなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ向かう」と答えたという。ペトロはその言葉を聞いて引き返し、殉教を覚悟してローマへ戻ったと語り継がれている
史実として確認することはできないが、この物語はその後、二千年近くにわたり消えることなく、現代にもこうして伝承されている。
この事実は、この逸話が単なる奇談ではなく、恐怖と責任の間で揺れる人間の葛藤を象徴する物語として、多くの人々に強い印象と意味を与え続けてきたことを示しているではないか。
カラヴァッジョが「ペトロの否認」から「聖ペトロの磔刑」まで追いかけたのは、宗教者として理想化された像ではなかった。否認の夜から、逆さ磔にかけられるまでに描かれるのは、聖人の完成ではなく、恐れ、ためらい、それでも引き返した人間の時間だった。
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