バッハの未知の傑作 少年時代に作曲したオルガン曲が発見

2025/11/18 更新: 2025/11/19

ドイツで17日、少年時代のヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した二つのオルガン曲を公開した。長らく所在不明だった作品の披露に、文化相は「音楽界にとって偉大な瞬間」と称賛した。

今回、発見された楽曲は、若い頃の作品だったものの、稚拙なものではなかった。オランダのオルガニストで、バッハの生涯と作品を記録・研究するライプチヒのバッハ・アーカイブの責任者であるトン・コープマン氏は演奏したところ、これらの作品が「非常に高い品質」であると評価している。

「若いバッハやモーツァルトを考えるとき、才能は後年に現れると考えられがちだが、それは事実ではない」とコープマン氏は述べ、「私は、世界中のオルガニストがこの技巧的で生き生きとした新しいレパートリーに非常に感謝し、今後定期的に演奏することを確信している」と続けた。

「G線上のアリア」「主よ、人の望みの喜びよ」「トッカータとフーガ」など現代でこそ様々な名曲が世界中で流され、愛されているバッハの音楽だが18世紀末から19世紀初頭にかけては、実は長い間ほとんど演奏されることがなかった。

バッハの死後、その作品は複雑すぎる上に宗教色が強いと見なされ、モーツァルトやベートーヴェンのように明快で聴きやすい音楽が求められはじめ、人々の耳から遠ざかっていた。

しかしバッハの死から80年経った1829年、若き作曲家フェリックス・メンデルスゾーンが『マタイ受難曲』の楽譜をライプツィヒの図書館で発見。楽譜は長年演奏されることがなく、当時の人々にはほとんど知られていなかったものだった。楽譜を見たメンデルスゾーンは「これほど深く、尽きることのない感動を与える音楽はない」と感動し、バッハの偉大な遺産を復活させることを決心した。

ベルリンで行われた復活演奏は、バッハ作品の価値と魅力が再評価される契機となり、当日にはプロイセン王室関係者やベルリンの知識人が多数来場しており、新聞でも「古代の巨匠の奇跡的な復活」と評したという。

メンデルスゾーンは「あの音楽が再び世に出たこと、それが人々に受け入れられたことは、私にとって大きな喜びだった」と語った。

現代においても、バッハの音楽は単なる過去の作曲家の作品ではない。複雑で宗教色の強い作品は、多くの聴衆に精神的な充足や感動を与え続けている。映画やコンサート、日常生活の中でも旋律が耳に届き、世界中の音楽家に影響を与えている。

今回公開された少年時代のオルガン曲も、そうしたバッハ作品の奥行きを示す新たな一章となった。複雑で宗教色の強い音楽は、過去を超えて現代の聴衆にも新たな発見と感動をもたらし、バッハが長い時を経ても色あせない巨匠であることを改めて示している。

関連特集: 国際