24節気の中でも一番寒いといわれる大寒を過ぎると、寒さはいよいよ本番になります。吐く息が白く、木々の色も落ち着いてくる頃、ふだんは目に留まらなかったものが、ふと気になることがあります。
葉を落とした木々の中で、色を変えないものがある。 雪をかぶっても折れずに立っているものがある。 まだ春でもないのに、香りだけ先に届く花がある。
松と竹と梅です。
日本では松・竹・梅といえば、祝いの席や格付けの言葉として親しまれてきました。とくに一月は、正月飾りや意匠の中で松竹梅を見かける機会が多かったのではないでしょうか。しかし由来を辿ると、これら三つは本来、別の意味で並べられていました。
古代中国では、松・竹・梅を「歳寒三友」と呼んでいました。厳しい寒さの中でも姿を崩さず、変わらぬあり方を保つものたち。「寒さの中でこそ分かる」という発想が、ここには込められていました。
松竹梅、それぞれの意味
そもそも松竹梅の意味はなんでしょうか? まず松の意味からいきましょう。その背景に、論語の一節があります。孔子はこう言います。
「歳寒、然後知松柏之後凋也」
厳しい寒さになってはじめて、松と柏が最後まで凋まないことが分かる。平時には見えないものが、環境が厳しくなったときに露わになる、という観察です。
この見方が、松を「歳寒三友」の筆頭に押し上げました。四季を通じて緑を失わず、寒さの中でも姿を変えない。その性質は、文人の間で「正直さ」「剛毅」「揺るがぬ節操」の象徴として扱われました。

竹は、別の角度から徳目の比喩になりました。唐の白居易は「水能性淡為吾友、竹解心虛即我師」と詠んでいます。水は淡く、執着の少ない性質をもつゆえに友となり、竹は「心虚」を解するゆえに師となる、という構図です。
ここでいう「心虚」は、空虚という意味ではなく、竹の幹が中空であることを踏まえた「へりくだり」「受け入れる余地」を指す語として読まれます。また、竹の節が明確であることは、節操を曲げないことの比喩として語られました。常に枯れず、寒さの中でなお姿勢を保つ竹は、文人の間で「君子の品格」を託される対象となっていきます。

梅は、冬の只中で花を開く性質によって位置づけられます。寒さを避けず、凛として先に咲き、香りを放つ。この性質が「堅貞」「清廉」といった語で語られ、文人雅士の愛好を集めました。
古くから梅には「四徳」が称えられます。芽が出ることを「元(はじまり)」花が開くことを「亨(のびやかに通る)」実を結ぶことを「利(実りとして結実する)」熟して落ち着くことを「貞(ゆるがぬ確かさ)」にたとえ、成長の段階をそのまま徳の秩序として読む見方です。厳寒の中で先んじて咲き、やがて実を結ぶ梅は、季節の花という以上に「始まりから結実までを貫くもの」として扱われました。

松は変わらぬ在り方、竹は謙虚と節操、梅は堅貞と清香。三者がそろうことで、寒中における高潔さが一つの図像になります。そのため松竹梅は、器物の文様としても、詩画の題材としても繰り返し描かれました。
左遷された詩人が見出した「友」
「歳寒三友」という呼び名が定着した経緯として、宋代の蘇軾にまつわる伝承も伝えられています。蘇軾は仕途に恵まれず黄州(現在の湖北省黄岡市)に左遷され、雪堂と呼ぶ住まいを構え、周囲に松・竹・梅などを植えたとされます。ある日、訪ねてきた知州(州の長官)が雪深い暮らしの寂しさをからかうと、蘇軾はこう述べたという話です。
「風泉兩部樂、松竹三益友」
風の音と泉の音は、二つの楽章。松と竹と梅は、冬の三人の良き友。風の音と泉の音を「楽」とし、松竹梅を「友」と呼ぶこの言葉を、風雅と見ることもできますし、境遇の中で自分を保つための言葉と見ることもできます。伝えられているのは、訪ねてきた知州が、蘇軾が逆境にありながら松・竹・梅をもって自らを励まし、正直で坦蕩とした品徳を失っていないことを見て取り、その後いっそう敬重し配慮した、ということです。
こうして松竹梅は、歳寒の中で姿を崩さない在り方を映すものとして並べられてきました。
もうすぐ梅の季節です。冷え込みが深まり、空気が澄み、体が冬を覚えた頃、香りだけがふと先に届く。 その香りに気づいたとき、私たちは寒さの中で何かを見る目を、少しだけ得ているのかもしれません。 歳寒三友とは、厳しい季節に姿を見せるものを友と呼んだ名でした。
梅が咲くまで、冬はまだ続いています。
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