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剣に誓い、神に捧ぐ――騎士叙任式の象徴と思想

夜が静まり返る深い闇の中、祭壇と聖像の前で、揺れるろうそくの灯が冷たい石床に影を落とす中、一人の男がひざまずいています。祭壇には彼の武器が置かれており、それは「これらは神に属するものであり、正義・真理・名誉を守るために使われなければならない」という象徴でした。従者(スクワイア)は暗い夜の間じゅう、神に自らの心を捧げ、騎士としての使命を果たすために必要な力を求めて祈り続けます。やがて夜明けの赤い光が空を切り裂くころ、従者は騎士へと変わる瞬間が近いことを悟ります。

中世ヨーロッパ社会で騎士が生み出される際の精巧な儀式は、「戦士」に託された高い理想を反映していました。もちろん、騎士が常にその理想を体現していたわけではありません。しかしこれらの儀式は、中世の世界観や、その中で紳士・戦士が担う役割について多くを物語っています。

パオロ・ウッチェロ作「聖ゲオルギウスと竜」、1456年頃。ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵。聖ゲオルギウスと竜の物語からもわかるように、騎士の生活には精神的な側面があった。(パブリック・ドメイン)
「聖ゲオルギウスとドラゴン」、約1456年、パオロ・ウッチェロ作。ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵。聖ゲオルギウスの物語にも見られるように、騎士の人生には精神的側面がありました。(パブリックドメイン)

 

キリスト教文化における戦士

騎士叙任(ダビング)の儀式は、「騎士道」という概念を体現したものでした。これは、中世社会が「戦い」を信仰と礼節の概念と調和させようとして生み出した枠組みです。この概念が初めて現れたのは10世紀頃のフランスでした。カトリック教会は、フランク族の抑えがたい暴力性を抑制しようとしていました。フランク族にとって戦いは日常であり、血を求めることは生き方そのものでした。

語源的には「chivalry(騎士道)」はフランス語の「chevalier(シュヴァリエ=騎士)」に由来し、これは「馬に乗る戦士」を意味します(「cheval」は「馬」)。フランク族は戦闘で馬を広く活用していました。一般に、馬を所有し戦場で乗ることができたのは裕福な者だけであり、そのため騎士は貴族階級と結びつくようになりました。

この武力エリートに対してキリスト教は、暴力性を「キリスト教世界の守護」へと導くための高貴な理念を示しました。最良の形での騎士道は、「生まれつき戦士である者が聖性へ向かう道」でした。真のキリスト教徒の騎士は、修道士が徳を追求するのと同じ熱心さで美徳を追い求めるべきとされました。

修道士に「戒律」があるように、騎士にも「騎士道の掟」が与えられていました。騎士は、神と教会の権利を守り、弱き者を助け・守り、悪をなす者に立ち向かい、主君や王に忠誠を尽くすことが求められました。

戦場で流れる血とキリスト教の道徳の間には常に緊張が存在し、加えて騎士たち自身がその掟を守れないこともしばしばありました。それでも、最高の形での騎士道は「戦いでさえ、徳と名誉をもって、神と人のために行うべきである」とその従者たちに教え込みました。平時においても、騎士は司法の執行、領地の管理、主君への奉仕など重要な役割を担っていました。

1870年に出版された中世とルネサンスの生活に関する書籍に掲載されたこのイラストでは、ルネサンス時代の騎士が鎧一式を身に着けており、馬も華麗な装飾が施されています。(パブリックドメイン)
1870年に出版された中世とルネサンスの生活に関する書籍に掲載されたこのイラストでは、ルネサンス時代の騎士が鎧一式を身に着けており、馬も華麗な装飾が施されています。パブリックドメイン

このような宗教的・儀式的な騎士観は、騎士叙任がほとんど「教会の秘跡」のように扱われた理由を説明するものです。実際、騎士になる準備をする従者は、罪の清めを象徴する入浴を行い、純潔な心で使命に向かうことを示す白い衣服を身につけました。これは洗礼を強く思わせる儀式でした。

騎士叙任をめぐる精巧な儀式について、より詳細な説明を残しているのが、13世紀の騎士ラモン・リュイです。リュイは、叙任は通常、キリスト教の主要な祝祭日に行われたと記しています。これによって騎士の教会との結びつきが強まり、典礼暦の重要な日に伴う祈りと祝福が彼を支えることになりました。

リュイはこう書いています。「祝祭の栄光によって、その日には多くの人々がその場所に集まるだろう……そして彼らは皆、従者のために神に祈るだろう。従者は叙任前の夜を礼拝堂で過ごし、祈り、武具を見守りました。これが有名な「騎士の徹夜の祈り」です。

この儀式の要素は、騎士が神に捧げられた存在であることを改めて示すものでした。また、困難と孤独に耐える力を示すものであり、王国と教会を守る者にふさわしい心構えともいえました。他の者が眠る中、一人で武具を見守ることこそが、騎士となる最後の準備としてふさわしかったのです。

リュイはまた、従者が清らかな心構えで騎士となる重要性を強調しました。「もし従者が、女遊びや罪を歌い語る吟遊詩人の話を聞くようなら、騎士道の団に入ったその瞬間からすでに、その団を汚し、侮辱し始めることになる」

徹夜の祈りを終えると、騎士候補はミサに出席しました。リュイによれば、叙任儀式がミサの中で行われたことは、騎士という存在の神聖性を強調していました。騎士は祭壇へ進み、騎士道の掟を守ることを誓いました。

誓いの後には長い説教が続き、キリスト教信仰の基本と、それが騎士の使命とどう結びつくかを説きました。そして最後に、司祭または貴族が従者に騎士号を授けます。従者は再び祭壇の前にひざまずき、目と心を神に向けて祈ります。その祈りの最中、司祭や貴族が剣を帯びさせ、さらに刃の平らな部分で頬を軽く打ちました。これが「ダビング」と呼ばれるもので、騎士が反撃せずに受ける唯一の打撃でした。それは「神と王のために受けるべき苦難」を心に刻むためのものでした。

これらの儀式は、厳格な階層と宗教性に満ちた中世世界の宇宙観を見事に表現していました。すべての人は社会の大きな秩序の中で固有の役割と位置を持ち、その秩序は神が創造した世界全体の秩序を反映していました。騎士にとって、その立場とは「文明の中で善きもの、聖なるもの、美しいものを破壊しようとする者から守るため、絶え間なく戦の技を鍛えること」でした。

「神のご加護を!」 1900年、エドマンド・レイトン作。この絵が描かれた当時、中世は既に過ぎ去っていましたが、宮廷の愛と貴族の物語はヨーロッパ文化に永続的な影響を与えました。(パブリックドメイン)
「ゴッド・スピード!」1900年、エドマンド・レイトン作。この絵が描かれた時代にはすでに中世は過ぎ去っていましたが、宮廷文化と高貴さの物語はヨーロッパ文化に長く影響を残しました。(パブリックドメイン)

現実には、騎士道の理想を守らず、己の利益を追求し、剣を欲望のために使う者もいました。しかし、騎士道の道を歩んだ者たちもいました。彼らが追い求めたものは――たとえ欠点が多かったとしても――歴史上の軍事思想の中で特異であり、驚くべき遺産として今に至るまで残されています。

(翻訳編集 井田千景)

英語文学と言語学の修士号を取得。ウィスコンシン州の私立アカデミーで文学を教えており、「The Hemingway Review」「Intellectual Takeout」および自身のサブスタックである「TheHazelnut」に執筆記事を掲載。小説『Hologram』『Song of Spheres』を出版。