新疆生産建設兵団対策、中共の抱える難題

【大紀元日本8月31日】六月中旬から七月中旬にかけて、新疆ウィグル自治区の生産建設兵団は立て続けに大規模な抗争を引き起こし、ピーク時には20万人が関与した。中共中央は、国務院中央軍事委員会が率いる12の緊急対応チームを現地に派遣、軍の風紀是正と金銭面の保証で抗争の火種をもみ消した。50年代から共産党が新疆地区で政権を固めるため、退役軍人と全国から集った青年を中心に建てられた党政軍と、企業統合体に発展した新疆生産建設兵団は、党の政治思想が崩壊している現在、すでに中共中央にとって大きな課題となっている。中国政情記者・羅氷が、香港「動向」雑誌8月号で、新疆生産建設兵団による大規模衝突の経緯を記した。

今年の一月初旬、第83団場(団場とは生産単位)と第91団場の5万人余りの団員と家族が連名で戸籍の陳情(出身地の戸籍に戻したいという要求)をしたが、受け入れられずに20人が拘束されたために16日間のストに突入し、団本部を占拠した経緯がある。この時点で、当局が伊宇、奎屯から人を送る一方で、中央は国務委員・貨建敏、中央軍委員総政治部主任・李継耐を現場に派遣して団代表と会見させた。中央代表は団側の部分な要求を了承して、当風潮を静めた。

しかし、6月になると、阿克蘇の第14団場、第4団場、奎屯と石河子の第135団場、第91団場、第123団場、第106団場の兵団員たちが団本部に対して、再び立て続けに集会と請願を行い、その規模は7月11日から17日にかけてピークとなった。20万人余りの団員とその家族らが、奎屯、石河子の団本部を包囲し、十箇所以上の団場、工場、鉱山、林牧場が全面的なストライキとなり、さらに事態はエスカレートし、一部武装した兵団員らにより阿克蘇と新和の軍事飛行場も攻撃されたという。

飛行場の駐在軍隊は、銃を持って自衛、空砲で警告を発した。現地の兵団本部と軍隊は、中央に緊急報告した。中央は、武器使用禁止、情報の厳重閉鎖、緊張緩和のため兵団代表と交渉を続けるという3点の指示を下した。

国務院と中央軍事委員会は、中央書記処書記で中央軍事委員会の徐才厚・副主席、国務院の曾培炎・副総理が率いる12チームを派遣して慰撫に努め、団側の要求を承諾した。7月29日には、黄菊中央代表が20億元の慰問金を携えて同団を訪問した。これに、毎年8億6,000万元を増援すること、毎年26日間の有給休暇を与えること、経済、技術、情報の面での団員を優遇することを約束した。

現在では、騒乱は沈静化しているものの、220人余りの団員とその家族が負傷、7人が深手を負って死亡、焼身して抗議するものさえいた。

目下の新疆生産建設兵団には50万人の団員と25万人の退役者がおり、その家族は120万人余りである(注:官製統計は242.8万、新疆人口の13%を占めという)。兵団は、1950年代に新疆に駐屯した人民解放軍退役軍人と、50、60年代に中共は「革命戦士」として12の省市から募った中学卒業生が、部隊を編成したという。

当局は人心を沈静化させる為、当兵団に参加する団員に結婚祝儀金を奮発している。80年代中期には1千元だったのが、90年代中期には1万元、’90年代後期には3万元、去年には5万元となった。5万元の祝い金を貰うためには、一生新疆ウィグル自治区に居留しなくてはならない。最近では更に、8万元から10万元となった。

90年代初期、農村或いは城鎮では、工員を募る名目で毎年2万人の未婚男女が当自治区に連れてこられ、団員の配偶者となった。

新疆生産建設兵団は、平時には七分が生産で三分が軍事であるが、有事には軍事八分、生産二分となる。現在の世代は既に第三世代或いは第四世代に入っている。兵団の軍事任務が増大するにつれて、各軍区から軍事技術官が派遣され、戦車などを装備する10個団相当の戦力を保持するに至っている。

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