高智晟:法輪功のために中国当局へ宛てた第三回目の公開書簡(上)

【大紀元日本1月8日】全国人民大会(2004年12月)への公開書簡に引き続き、中国の著名な人権弁護士・高智晟氏は2005年10月18日、中国の指導者・胡錦涛総書記と温家宝首相に宛てた公開書簡(嘆願書)を再び公表した。書簡の中で、法輪功学習者が受けた残虐な迫害状況を自ら調査して列挙し、当局に対して自由な信仰者への迫害を中止し、国民との関係を改善するよう呼びかけた。この書状の公開は、国内外の社会と中国上層部に衝撃をもたらした。この後、高弁護士は恐喝電話などを受け、北京司法局などから頻繁に呼び出された。中国当局は「高氏の行動はすでに限度を超えた」と称し、彼に公開書簡(嘆願書)の撤回を要求した。高弁護士はそれを拒否したため、同年11月4日午後、彼の法律事務所は一年間強制閉鎖された。

しかし、各方面からの圧力と脅迫を前に、高氏が屈することはなかった。大勢の中国大陸法輪功学習者の願いを受け、2005年11月29日、彼は20数人の私服警官の尾行を振り切り、山東省の済南市、遼寧省の大連市、阜新市、吉林省の長春市などの各地を10数日間かけて訪れ、鎮圧の実態を再度調査した。2005年12月12日高弁護士は、被害者らが6年間受け続けてきた悲惨な迫害を、「我が民族の良知と道徳を絶滅させる野蛮行為を直ちに止めるべき」と題してまとめ、第三回目の嘆願書として中国当局に提出した。以下は、高弁護士が中国当局へ宛てた第三回目の嘆願書の全文である。

我が民族の良知と道徳を絶滅させる野蛮な行為は直ちに止めるべき

――高智晟氏が胡錦涛氏、温家宝氏及び中国同胞へ宛てた公開書簡

胡錦涛氏、温家宝氏及び親愛なる全ての良識ある同胞へ:

高智晟は長春市で皆様に御挨拶を申し上げます。

まず、広東省委員会,省政府に銃殺された無実な同胞たちに最も沈痛な哀悼の意を表し、彼らの遺族に一人の国民として慰問と声援の気持ちを伝えます!そして、広東省委員会や、省政府が我々の善良な同胞を虐殺した野蛮な行為に対し厳重なる抗議を申し入れます!最高指導部が文明社会で公認されている基本的な原則に従って、殺人犯と責任者に厳罰を下し、遺族を慰めるよう強く要求します!

雪や氷に包まれる長春市は異常に寒く、一日中水道が凍りつく一室に今「身を隠している」私には、正義の血が沸き立っています。これは私が再び胡氏と温氏お二人に公開状を書いているからではありません!私は幸運にもこの世の最も偉大な民族の一つである中華民族の明日のために駆け回っているからです。これは一公民の私にとって正義の血を沸き立たせるのに充分です!

2005年10月18日、私は正義の血が溢れる情勢下で、胡氏と温氏お二人の同胞に公開状を出し、緊急に「自由信仰者への迫害を止め、国民との関係を改善」するよう呼びかけました。その次の日から、我が家は赤裸々な脅迫電話を受け、3日目から毎日平均10台以上の車、20人以上の私服警官が自宅周辺で24時間間断なく私の家族全員を封じ込め、監視や尾行をし始めました。さらに半月後に北京司法局は私の法律事務所に対し、強制的に業務停止を命じました。1人の国民の公開提言に対し、政府がそのような反応に出ることは真に遺憾に思います!

その公開状がもたらしたもう一つの強い反応は、各地の迫害された法輪功学習者から現地の迫害真相を調査する依頼が相次いで私の手元に寄せられたことで、これらの依頼の中では長春市と大連市からのものがもっとも多かったのです。そのため11月29日から私たちは山東省の済南市や、遼寧省の大連市、阜新市、吉林省長春市などの各地を精力的に駆け回り、新たな真相調査を展開しました。今回は以前の一人旅と違い、幸にも全行程に北京大学助教授・焦国標氏が同伴してくれました。

その頃は、大勢の私服警官が私の自宅周辺で、昼夜を問わず手練手管を使って恐怖的な雰囲気を造り、家族全員が野蛮な迫害に耐えているもっとも厳しい時期でしたが、11月29日、私は20数人の私服警官の封じ込めと尾行から抜け出して、再度私なりの方式で15日間の真相調査をすることができました。ここで特に言及したいことは、特にこの時期において、私たちが手を尽くして我が民族が絶え間なく悲惨な迫害にさらされている真相を公表することは、我が民族が直面している問題の深刻さと緊迫性を、我が全民族に対して注意を喚起するためでもあります。我が民族や、我々個人個人がこれらの問題に対して真剣に向き合うべき時期が来ました!いかなる理由や、いかなる伝統的な方法およびいかなる先送りについても、我が全民族にとって、犯罪になるに違いありません!

この公開状では、私が目にしたすべての真実に存在している問題を避けることは出来ません。例えこの書簡の公開日が私の入獄日であっても意志は変わりません。10数日の調査を通して、再び心肺が引き裂かれるような真相を目の当たりにしました。「610オフィス」は、少なくとも「国家政権内における権力を超えるマフィア組織である」と言えます。それは政権資源を操縦、制御することのできるマフィア組織です。国家の憲法および国家権力構造の中に存在しないこの組織は、国家機構しか行使できない権力を、さらに国家機構さえ行使できない「権力」まで「行使」しています。それは地球上の人類に、国家としての文明が始まって以来、国家として有することのできない権力を「行使」しています。

私達は見ましたが、「610オフィス」に符号化された権力は、継続的に人間の肉体と精神を殺戮し、手枷や足枷、鎖、電撃拷問、「虎椅子」などの方式で我々の国民と「接しています」。この完全にマフィア化された権力は絶えず私達の母親や、私達の兄弟、私達の子供および我々全民族を苦難に陥れています。胡氏、温氏お二人、この時代、この時刻において、あなた方は特殊な身分を有する民族の一員として、特に国民の大半から良知ある同胞だと認められている民族の一員として、私達と共にこの一切に直面しなければならない時期が来ましたよ!

今、私は震撼する心と震えが止まらないペンで、6年間も迫害され続けている被害者らの悲惨な境遇を記述しています。信じ難い野蛮な迫害の真相の中、政府による自国民に対するまったく人間性のない残虐な迫害記録の中で、もっとも長い間私の魂に衝撃を与えた不道徳な記録は、すなわち「610オフィス」メンバーと警官による、完全にマニュアル化された、例外のない、我々女性同胞の生殖器を攻撃する卑しい行為です!ほぼ100%の女性同胞の生殖器や、乳房および男性の生殖器は、迫害の過程の中で皆極めて卑しい攻撃を受けたことがあります。ほとんどの被害者は、男女を問わず、拷問される前にすべての服装が剥ぎ取られます。如何なる言語、如何なる文字でも我が政府の卑劣と不道徳を明確に記述し、あるいは再現することはできません。まだ血を流している同じ民族の一員としてこのような真実を前にして、沈黙することができるのでしょうか?

2005年10月28日午後4時20分ごろ、長春市の王守慧さんと劉博揚さん母子が「610オフィス」の警官に尾行され、不法に逮捕されました。その後母子2人は警官による拷問を受けました。同日午後8時ごろ、28歳の劉博揚さんが迫害され死に至りました。10数日後、母親も拷問によって死亡しました。生前苦痛に耐え尽くした母子の遺体はいまだに「610オフィス」の警察に差し押さえられています。劉博揚さんが亡くなった3日後に、初めて父親に知らせたのです。母親の王守慧さんの死亡時間はいまだに不明です。劉さんの父親は地元の弁護士を頼んで裁判を起そうと考えましたが、彼の委託を受けてくれる弁護士は1人もいませんでした。年配の父親は周囲の人に「このような社会で生きるより死んだほうがマシだ、生きているほうがずっとつらいから。母子の葬式などを整理し終わったら、私も彼らの後を追う」と話しました。

王守慧さん一家3人は1995年から法輪功を修煉し始め、1999年7月20日弾圧が始まってから、継続的に緑園区正陽派出所と正陽町内会の幹部らによる、不当な家宅捜索によって家中を荒らされるなどの迫害を受けました。王守慧さんは1999年10月と2000年2月に2回にわたり不法に拘留され、労働教養所に送られました。黒嘴子労動教養所では、電撃拷問を8回も受け、昼間は労働を強いられ、夜間は立たせられて5日間も睡眠を剥奪されました。「死人ベッド」と呼ばれる拷問具に数回も縛り付けられ、もっとも酷いのは、「死人ベッド」に縛られたまま、2本の高圧電撃棒で1時間以上電撃され、顔と全身に重症を受けたことです。重態に陥るまで迫害されてから、ようやく釈放されました。

2002年4月11日、王守慧さんは街を歩いていたときに、再度緑園区正陽派出所の警官に不法に逮捕され、長春市公安局1処で目隠しされたまま、長春浄月淵の浄月山に設けられている拷問所に入れられました。そこで「虎椅子」という拷問具に一昼夜に亘り縛り付けられ、その間ずっと、拷問を受け続けました。警官は2本の電撃棒で同時に彼女の乳房などを電撃し、3人の男が顔や、上半身、背中などを殴り続けました。そのため王守慧さんの左顔面の頬骨は複雑骨折し、吐血が止まらなくなりました。さらにその後肺に感染症を起したので警察病院に入院させられましたが、その間、王守慧さんの手足は固定されたままで、注射を強いられました。トイレへ行くのも許されず、導尿管を強制的に挿入され、まったく看護されていませんでした。5昼夜にわたりそのままに放置されたため、その後ずっと小便を漏らすようになりました。

2002年6月27日、王守慧さん一家3人はまた緑園区支局政保科によって、正陽派出所まで連行されました。そこで王守慧さんは一晩中体を球状に縛り付けられました。その後長春市第3看守所に投獄され、18日間手錠と足枷を繋いで嵌められ、1カ月間ほど野蛮に灌食されました。その後、省の公安警察病院に送り込まれて、そこで手足をベッドに固定されたまま、30点xun_ネ上無理やり灌食され、最後は息も絶え絶えになるまで迫害されてから家に帰らせたのです。同じ時期に、息子の劉博揚さんも正陽派出所で、何人かの警官に残酷に苦しめられました。殴られ蹴られ、革靴で口元部分をビンタ打ちされ、縄で縛られ、頭にビニール袋を被せられ、両手を背中に回して手錠を掛けられ宙吊りにされました。その間、警官は故意に彼の体を揺れ動かしたり、足を引っ張ったりしました。当時、拷問を行った警官・苑大川は「私は法輪功の人を何人も打ち殺したことがある。あなたたちを打ち殺しても私は何の責任も負わないぞ」と暴言を吐いたそうです。拷問が行われる時の悲惨な声は、母子が互いに聞こえるので、驚天動地の脅えでした!

2002年10月29日、劉博揚さんは長春市朝陽溝労働教養所に送り込まれて、不法にも2年間の労働による再教育を言い渡されました。12月の真冬に警官に1日中冷たいコンクリートの床に座らされ、夜は寝ることを許されず、また昼間は洗脳教育を強いられました。2004年6月刑期満了の時に、労働教養所は彼を釈放せず、口実を設けて47日間追加拘束しました。劉博揚さんは医科大学の卒業生で、人柄は人情を重んじ温厚で、老人を尊び幼いものを慈しみ、勤務先の病院では毎年表彰されていました。王さんはほぼ一気に上述の劉家母子の境遇を言い終わったのです。

長春市の住民・孫淑香さん(48歳)は、6年間に9回も不法監禁されたことがあります。以下は彼女が自分で述べた何回かの不法労働教養期間中の体験の一部です。

「2001年下半期、興業街派出所の警官・李振平と氏名不詳の男が、私の自宅に来て、夫と私に離婚するよう強要しました。私は離婚をしないと言ったので、彼は私の顔にパンチを連発しました。私の顔がひどく腫れあがり、両目から血が流れ出し、すぐに物がはっきり見えなくなりました。また離婚するかどうかを聞かれました。もし離婚しなければ、再び労働教養所へ入れると恐喝しました。夫は彼らの継続的な恐喝のもと、私と離婚しました。私のこんなに良い家庭はこのようして政府に壊されてしまいました。今に至るまで私を外で放浪させています」。

「2002年7月初め私が実家を訪れたときに、私服の警官が不意に飛び込んできて、私が孫淑香であるかどうかを聞きました。私は答えていないのに連行されました。次の日に長春市公安局1処の警官が私を車に乗せ、頭から目隠しをして約2時間走り続け、薄暗くて不気味な地下室に無理矢理連れ込まれました。いきなり8、9人の警官が入ってきました。テーブルには大中小の電撃棒3本とロープ1本が置かれていて、もう一方には『虎椅子』が三つも平行して設置されていました。2人の警官は私を掴んで無理矢理に『虎椅子』に連れて行きました。手すりに手錠が取り付けられていて、手を手すりに置くと、手錠がひっくり返されて嵌めます。『虎椅子』の手すりには一列の異なるサイズの小さい穴があって、太さの違う人に適用します。警官は慣れた手つきで親指ほどの太さの鉄棒を、両手すりから、胸部と腹部の前を通し、私の体をしっかり『虎椅子』に固定しました。私はまったく動けなくなりました。そして1人の警官は拷問具を指して、私に『見たか?あなたが素直に質問に答えれば、1時間あまりで下りられるが、でなければ、すべての拷問を全部体験させてやるぞ。劉哲(被迫害者)らはどうかい。これらの拷問具の上から生きたままで下りて来られる人はあまりいないぞ』と脅迫し始めました。1人のおとなしそうに見える警官はいきなり私の顔に2回パンチをくらわせました。私はどの法輪功学習者を知っているかを聞かれたので、私は知らないと答えました。彼は電撃棒を持ち出して、電撃棒の二つの爪先を私の肋骨に当てて電撃し始めました。それから学習者の電話番号を聞かれましたが、私は答えませんでした。それで電撃棒で私の指先から電撃し始めました。電撃しながら私にどの学習者を知っているかを聞きました。私が言わなかったので、彼は私の腕の外側から、頭部を通り体のもう一方まで、身体一周を電撃し続けました。それからまたゆっくりと身体一周を電撃しました。その後、電圧の高い電撃棒に交換して、充分に充電させてから、足の指先から体の外側の一周をゆっくりと電撃し続けました。それでも私は言わなかったので、またもう一方の足の指先から全身を一周して電撃しました。私はそれでも言わなかったので、彼らは集中的に私の目を電撃し始めました。眼球が飛び出そうな感じで、目の前は真っ暗でした。私がまだ言わなかったので、彼らは私の肋骨部を電撃しました。私は我慢できないほど痛かったのです。また胸部を電撃しながら、どの法輪功学習者と連絡があるかと聞かれました。私は痛くて話せなくなりましたが、すべての知っている学習者の顔が頭に浮かび、心の中にはどんなに苦しくても、絶対に彼らの名前を言わないという一念しかありませんでした。一人の名前を言いだすと、その人はきっと捕まえられて迫害を受けるに違いありません。警官はまた電撃棒を私の口の中に入れて電撃し始めました。口が焦げひどく腫れあがり、口の周りは泡だらけでした。警官は電撃しながら、「言わないじゃないか、今日あなたの口をこじ開けなければならない」と言いました。その後また電撃棒を口の中に入れられました。一昼夜の拷問で、私はすでに息絶え絶えになりました……!」

「2003年の初め、私は刑桂玲さんの家に身を寄せていました。ある日の夜中、みんながビックリするほど大きなドアを叩く音が聞こえました。二重のドアがすぐに壊されて開けられました。驚き恐れていると、一群の銃や金槌を手にした警官が飛び込んできて、「動くな、動いたら殺す」と言いました。その後、私たちは緑園区公安分局に連行され、鉄で作った小さな籠に閉じ込められました。私は『虎椅子』に縛られ、警官は私の目の前で刑桂鈴さんを殴打し始めました。ベルトで彼女の首を絞めたので、彼女はひどく苦しんで悲鳴をあげました。刑桂鈴さんは殴打されて倒れましたが、また足で蹴られました。刑桂鈴さんが立ち上がると、また倒れるまで殴り続けました。殴りながら、蹴りながらずっと彼女に他の法輪功学習者との連絡などの情報を言わせようとしました。繰り返して苦しめ、最後に警官はベルトを外して、ずっと彼女を息ができないほど首を強く絞めました。結局彼女は1人の名前も言いませんでした。それから私を苦しめ始めました。3日間の苦難の後に私達を第3留置場に送り届けました」。

「2003年8月4日私は再度警官に捕えられ、南関区公安分局に連行されました。満面あばたのある警官は私の髪の毛を掴んで壁にぶつけました。私は意識が朦朧となりました。その後、『虎椅子』に座らされました。両手を手錠できつく締めてから、ある警官は私の両腕を強く打ち始めました。すると手錠を嵌めた手首が破れました。また私の頭にビニール袋を被せ、首のところで締めたので、息が苦しくなり、窒息しそうになりました。失神する寸前にビニール袋が外され、ちょっと休むと、また被せられ、失神する寸前にまた外され、このように3回繰り返しました。彼らは鉄の環で両足首を強く締めてから、鉄の環についている棒を踏みました。それで鉄の環がますますきつくなり、両足首は我慢できないほど痛みました。痛くて痙攣し始め、足首が破れて大量出血したので、気絶しました。彼らは私に冷水をかけ目覚めさせた後、第3留置所へ送り込みました。私はずっと断食によって抗議しましたが、人事不省になり、27日目にすでに息絶え絶えになっていたので、家族に知らせて私は連れ戻されました」。

長春市の劉淑琴さん60歳)は、6年間に5回も不法に逮捕され労働教養させられました。劉淑琴さんは非常に落ち着いた口調で、自らの苦しめられた体験を私達に語りました。

「初めて逮捕されたのは2000年2月で、警官は気が狂ったように殴ったり蹴ったりしながら私達を引きずり警察車両に押し込み、八里堡留置所に送り、不法に15日間監禁しましたが、この間いかなる法的手続きも取らなかったのです。私達10数人は逮捕され、そこで言葉で表すことのできない苦しみを受けました。釈放された後でも、町の住民委員会と派出所は絶えず嫌がらせをしに家に来ました。2回目は2000年12月31日北京へ陳情に行った時でした。天安門広場で「法輪大法がよい」の横断幕を開いたため、駆けつけてきた天安門の警官に、電気棒で腰を殴られ、強引にパトカーに引きずり込まれました。その後私を北京市宣武区留置場のグラウンドに連れて行き、真冬にもかかわらず私達100数人をグラウンドの地面に午前中座らせました。それから私は地下牢のような部屋に入れられましたが、その部屋の壁は全て氷と霜がついていました。警官に服を全部脱ぐように強いられ、裸になると、警官は他の受刑者に指図し大きい水道管から私に水を噴射させました。また私を裸のまま地面に寝させ、かけるものは何もなく、その上部屋中に便器の臭いにおいが漂っていました。毎日数人の警官が順番に尋問し、夜も、私を眠らせませんでした。38日間続けて尋問されて苦しめられましたが、私は何も言いませんでした。

2001年12月31日、政府の法輪功に対するうそを暴露するため、私は数人の学習者と一緒に垂れ幕を掛けに行った時、誰かに告発され逮捕されました。「610オフィス」の警官は、休むことなく私を殴打し、夜12時に私を第三留置場に送りました。そこで警官は拳で私の目を殴り、私はめまいがしましたが、また頭を殴ってきました。暴行を振るう警官に「善悪には報いがある」という理を告げましたが、警官は他の受刑者に重さ28キロの足かせを持ってこさせ、私にそれを付けました。22日間拘禁され、生きるより死ぬほうが楽なような苦しみを経験しました。その後警官は家族にたくさんのお金を支払わせてからやっと私を釈放しました。

2003年2月28日、私は釈放され何日も経っていないのに、緑園支局の一群の警官らはまた私の家に侵入し、家宅捜査しました。その中の警官・苑大川はもっぱら家の引き出しをひっくり返し、4000数元の現金を全部没収し、いかなる領収書も発行しませんでした。その中のもう1人の警官は私の子供が海外から持ち帰った香水を自分のかばんに入れましたが、その時、苑大川はまだ私のお金を探していました。私が彼らの強盗行為を指摘すると、苑大川は両拳で殴りかかり、私に手錠をかけました。彼らはやりたい放題に私の家を捜査し、家をぐちゃぐちゃにひっくり返しました。その後、彼らは私を強引に緑園支局の拷問室へ連行して拷問しました。私を「虎椅子」(刑具の一種)に座らせ、2時間苦しめた後、今度は縄で縛りましたが、縄がとても細く、警官は力を入れ肉に食い込むほど締め付けました。背中で手をがんじがらめに縛ってから、私を拷問室から連れ出し車に押し込みました。警官は私のダウンジャケットで窒息しそうになるほど私の頭を強く包みました。車は20分ほど走って、拷問をするところに着きました(後で朝陽支局であることを知りました)。部屋中にいろんな刑具が並んでいました。部屋に入ったとたん、私は「虎椅子」の前に押し倒されました。6人の警官は私に手錠や足かせをはめ、胸先の横から鉄の棒を挿しこみ、私を「虎椅子」に固定しました。1人の若い警官は1本の長さ1尺ぐらいの鉄の棒を手に持って、私の「虎椅子」に固定された左手を叩きました。 10回以上も叩かれ、手がとても大きく腫れてしまい、紫黒色になりました。警官らは他の学習者のことを白状するよう私に強要しました。何も言わないと答えると、10数人の警官は私の手を背中で手錠をかけ、そして手錠、足かせ、胸先の鉄の棒を絶えず引っ張りました。私は筋が切れて骨が折れるように感じ、窒息しそうになり、我慢できない痛みにより何度も意識不明になりました。意識不明になると、警官は冷たい水をかけてきます。目が覚めると引き続き拷問を加えられました。このように一昼夜私を苦しめました。警官が手錠や足かせを引っ張る時、手錠と足かせが肉の中まで食い込み、手首と足首が血だらけになり、床にも血が溜まっていました。警官の残忍悲道な苦しめにより、私は腕や手足の神経、骨が痛くてたまらず、身動きができなくなりました。3月1日に私は第三留置場に送られて、身体検査を受けた時、心臓、血圧がみな異常で、歩くこともできないという結果が出たにもかかわらず、2年の労働教養を言い渡されました。私は意識不明のまま黒嘴子労働教養所に運ばれましたが、トイレへ行くのも他人に手伝ってもらうしかなかったのです。2大隊で、警官・劉連英は私の思想転化を始めました。歩けないのは仮病だと言い、電撃棒で私の足、胸、心臓、全身に電気ショックを与えました。当時1人の受刑者・伊麗文(警官・劉連英と仲がいい)は、見ていられなくなり、電撃棒を奪い取って「彼女はもうだめだから、やめよう」と言いました。それで劉連英はやっと暴行をやめました。歩けないので警官はいつも私を罵っていました。またあらゆる「転化」させる手口で私の思想転化をしようとしました。警官全員は順番に私を思想転化させようとして、毎日強制作業を終えた後、私を眠らせず、強引に洗脳を行い、「三書」を書くように強要しましたが、私は断固として書きませんでした。このように2カ月間も苦しめられたので、私の血圧はいつも高く200を上回り、心臓病もひどくなりました。警官・賈洪岩は私を転化させることができないのを見て、売春婦の受刑者を指図し、私に迫害を加えさせました。その受刑者は、食事のときも、眠るときも、24時間いつも離れずに私を監視し、転化するように強要しました。毎日いつも私を殴ったり罵ったりし、話すことを許さず、話をすると罵り、あら捜しをして私を迫害しました。労働教養所では正邪が転倒し、悪人が良い人を管理し、警官は他の受刑者を指図し気の向くままに法輪功学習者を迫害し、監視させます。私は毎日心身の苦しみに耐えていました。1年の迫害により、私は心身ともに大きく傷つけられ、体が麻痺し、腕が利かず、脳梗塞、脳萎縮と診断されました。本来体がとても健康だった私は、この1年の迫害によってこうなってしまいました。私はただ良い人になろうとしたため、このように長期にわたり人間性のない虐待を受けさせられました」。

ゆったりした口調の張致奎さんは長春市で迫害された体験を落ち着いて述べました。

 「1999年7月20日の後、私は北京に陳情に行き、北京の人々に法輪功の真相を伝えたため、警官に逮捕され

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