ビデオが捉えた北京中国人権展の実態、入場観客は警察だけ

【大紀元日本11月23日】中国共産党治下の人権確立の成果をアピールする 「中国人権展」が17日、北京市の民族文化宮で開幕された。主催者の中国国務院報道事務局は「だれでも無料で入場できる」とアピールし、無料のチケットを会場の周りで配っている一方、人権迫害の真相を訴えようと会場を訪ねてきた直訴者らの入場を禁止し、入口でボディ・チェックなどの厳しい検査を行っている。場内は観客の人影がなく、直訴者の抗議に対処するため現場を巡回している警察のみが観覧している場面がほとんどだった。

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ビデオ1(11MB):展示会場内は武装警察のほかに観客はいなかった(大紀元)

ビデオ2(2.8MB):「中国人権展」会場を出入りする警察の車(大紀元)

ビデオ3(4.5MB):会場斜め向かい側の林に身を隠している保安警察ら(大紀元)

大紀元記者が観察したところによると、会場周辺では警官や私服警官が動員され、パトカーが往来し現場を巡回している。直訴者を連行するためのバス2台が停車している。また、会場の斜め向かい側にある松林に30数人の警官が身を潜め、会場に駆け込む直訴者たちをいつでも阻止できるように待機している。

会場入口は一人しか通れない狭さであり、8人の警察がボディ・チェックなどの厳しい検査を行っている。入場する際、セキュリティー探知機による検査を経た上、荷物を預けなければならない。館内も厳重な警備になっており、スローガンも看板も貼っておらず、行き来しているのは保安警察と私服警察だけだ。本紙記者が会場に入った20日午後2時から3時の1時間に入場したのは、直訴者の3人を含み、合わせて20人ほどだった。

会場内では幾つかの写真が展示され、出版された白書の写真に、中国人は発言権、選挙権があり、子供は学校へ行けるなどを書かれている。さらに、中国共産(中共)党はソビエト時代の1935年から選挙法および選挙権があったと解説を付け加えている。

北京の直訴者・張桂郡さんは警察と警備に取り押さえられて、監視の元で館内を回った。中国は人権がない、軟禁されて人権展を見させられていると張氏は話した。

また、入場に成功した内モンゴルの直訴者・韓林芝氏は会場内で「自分の経歴が中国人権展の活きた良い例だ。20数年間訴え続けているが、問題は解決されないところか、警察に殴打されたのだ。自分にはちっとも人権がないのだ。公安警察は人民に対してむやみに殴打したりし、非合法的に勾留したりしているから、我々はまったく訴える場所がないのだ」と訴えた。

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内モンゴルの直訴者・韓林芝氏の録画1(6.1MB)

内モンゴルの直訴者・韓林芝氏の録画2(14.3MB)

内モンゴルの直訴者・韓林芝氏の録画3(5.1MB)

誰もいない会場前を通過したある北京市民は、「中国が人権展を開催するなんて、国際的な物笑いの種にされるだけだよ」と苦笑していた。

会場の斜め向かい側の林に30数人の警官が身を隠している(大紀元)

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