大切なのは隣近所との人間関係=田中保三氏講演「震災から得たもの」
【大紀元日本1月23日】1995年1月17日(午前5時46分頃)に発生した「阪神・淡路大震災」から12年が経過、当時の震央地区(神戸市長田区御蔵通り)で自動車部品卸売業の販売会社を経営していながら社屋を被災喪失し、現在では地元ボランティアグループと協調して、市民センターの復興や慰霊碑の建設などで尽力している「阪神・淡路大震災まち支援グループ・まちコミュニケーション顧問」の田中保三氏(65)が19日、東京港区の麻布市民センターで「震災から得たもの、あれから12年」という演題で講演を行い、当時の被災地の状況を含めた大都市の問題点をその人間関係の脆弱性とともに指摘した。
田中氏は、当時の神戸市民が地震を全く予知・予期していなかったと指摘、明治の文豪・谷崎潤一郎が関東大震災を避けて神戸に移ってきたところから、「大地震はないもの」と決めてかかっていたという。当時の被災死亡者は、全部で6,434人、そのうち直接要因による被災は、家屋倒壊が3,000人でトップ、次いで家具による圧死が2,000人、火災は500人だと指摘、「家具が金具などで固定されていれば・・・」と述べた。間接要因には、風邪が300人、心筋梗塞が300人、その他・肝硬変などが300人と以外な結果であった。
また死傷者の内、家屋の倒壊や家具での下敷きなどでも「即死」したものは少なく、大半は圧迫され鋏まれた状態でしばらくは生存していたと指摘、救出された人たちは、「隣人に助け出された」が7割、「自力で脱出」が2割、「自衛隊・消防」などの制服組がわずかに1割と、制服組の初動対処の遅さ、立ち上がりの甘さを暗に指摘、「結局一番頼りになったのは、隣近所との人間関係」だと述べ、「日頃から、隣近所との人間関係が希薄な人は、災害時には大変危険だ」との認識を示した。