「中共元総書記・_deng_小平死去10周年」:中国国内メディアは低調保持

2月19日は、中国共産党・元総書記・_deng_小平の死去から10周年にあたる。しかしながら、中国国内メディアは、「_deng_小平10周年記念日」に対して低調を保持している。アナリストによると、彼の遺した政治的遺産が、党中央指導層にとって「頭の痛い」ものになっているという。

_deng_小平は、生前から率直な言動とユーモア溢れる語り口で知られた。その率直さと一徹さには、上司の毛沢東も手を焼いたが、その機転の利いたユーモアは、一般大衆の目には新鮮で親切にさえ映った。それに対し、中共その他高官は、語彙と話術に乏しかった。中国の「無産階級文化大革命」後期、_deng_は、毛沢東当時総書記、周恩来首相らの引き立てにより、「島流し」から解放されて中央に復権、国務院副総理の実権を握ることになる。しかし、当時の毛沢東・夫人「江青」を核心とする、中共保守派・強硬派から攻撃を受けた。

_deng_小平氏「私は、ウィグル族の娘のようにおとなしい」

これらの攻撃に対し、_deng_小平は常々、「私はウィグル族の娘のようだ。大人しいことこのうえない」と言っていた。しかし、ユーモア溢れるこうした発言は、却って 江青の率いる所謂「四人組み」らを階級闘争へと誘い込み、同時に「四人組み」の権力基盤とその合法性を巧妙に覆してしまった。「四人組み」は、1976年10月の中共中央における「第一次政変」中に転覆し、中国一般大衆から拍手が湧き起こった。

_deng_小平は、中国の最高指導者となった後でも、依然としてユーモアのある言動を続けた。しかし、その率直なユーモアが、物議を醸し出すこともあった。_deng_が、香港の「一国二制度」を論ずるとき、「50年経っても、100年経っても変わらない」と公言したが、香港が中国に返還されると、「競馬とディスコも悪くない」と発言し、嘲笑と批判の的となった。評論家によると、これらの話は_deng_の思想的な視野狭窄を反映し、現代的な法治観念に欠け、香港の基本的情況を理解しておらず、人々に香港の繁栄が「競馬とディスコ」に依拠しているかのような印象を与えた。

中共にとって「頭の痛い」_deng_小平の遺産

これら嘲笑や批判の中にあって、党中央はもはや「50年経っても、100年経っても変わらない」「競馬とディスコも悪くない」などの話を持ち出そうとはしなくなった。

「_deng_小平死去から10周年」が近づくにつれ、中国ウォッチャーたちは、中国国内メディアが低調さを保持しているのが分かった。中国の作家・趙達功によると、主要な原因は_deng_が遺した政治的遺産で、その名言・警句は党中央にとって「頭の痛い」ものになっているという。特に、「豊かになれる人から先に豊かになれば良い」という名句は、党中央が大衆に説明しにくいものだという。

趙達功によると、「豊かになれる人から先に…」とは、当然権力のある者からだが、では一体誰からなのか?自分の親族、自分の派閥、そして自分自身だ。結局はそれだ。現在の中国では、貧富の差が拡大しつつある。そこで、このような話を持ち出したら、社会的な議論が紛糾するだろう。

「豊かになれる人から先に…」とは結局何か

現在米国亡命中の中国人評論家・胡平氏は、_deng_のこのような発言に対して厳しい批評をしている。「豊かになれる人から先に…」では、主語が巧妙に隠されている…共産党は、野蛮な暴力によって他人の私有財産を掠め取って、共産革命を実行し、後にこれを国有財産だと嘯いて私有化した。この二つの悪事を同時に実行したのが、共産党自身だ。

各種の歴史的な証拠、時間の経過につれ、ますます多くの中国一般大衆は、このような見方をするようになっている。中国ウォッチャーによると、中共がなぜ「豊かになれる人から先に…」を再提示しないか、中国国内メディアがなぜ「_deng_小平死去から10周年」に対して低調さを示しているのか、その大筋の理由こそがこれだ。

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