生命のなぞを探求する気功と武術の達人(そのⅠ)

【大紀元日本6月21日】李有甫氏は、中国武術の名人である陳盛甫氏、陳済生氏の愛弟子で、かつて、1982年全国民族スポーツ大会の武術チャンピオン獲得者であり、元中国人体科学研究センターの副研究員(准教授)で、中国の伝統医学と気功の領域の有名人であったが、現在は、一人の普通の法輪功学習者になっている。彼の歩んできた求道の道は、実に生命のなぞを探求する道でもある。

武術名人の愛弟子

李有甫氏は、18歳のとき、山西大学の武術教授である陳盛甫氏の門下に入り、武術修行の道を歩み始めた。10数年の修行を経て、1981年に、31歳の李有甫氏は陳盛甫教授の大学院生になった。その後、陳盛甫教授は自分の愛弟子を自分の義兄弟である山東省済南武術協会主席で山東省武術館長の陳済生氏に紹介した。李有甫氏は、陳盛甫氏と陳済生氏の二人の武術界の名人の秘伝を受けたのち、自分でさらに中国の伝統医学を独学して、ついに中国気功界の名人になった。

独特な疾病診断能力

武術気功の「八卦掌」を練習している李有甫氏(写真=季媛)

1987年、すでに山西大学の講師になっていた李有甫氏は、中国の著名な科学者である銭学森氏が主宰する中国人体科学研究会(超能力を研究する国家機構)に移り、中国人体科学研究会所属研究センターの副研究員に昇任した。

そこで、李有甫氏は自分が長年の修行により得た特別な能力(超能力)を使って、生命の謎を探求する道が始まった。

その特別な能力の一つは、遠隔疾病診断であった。つまり、この功能を利用して、遠く離れた面識のない人の病気を診断できることである。このような功能は、現代科学の研究者だけでなく、伝統医学の医師たちにとっても、なかなか信じがたいことである。

李有甫氏は、かつて北京骨科(整形外科)病院で共同研究を行ったが、共同研究者の一人の中医師(漢方医)は、かねてから気功や超能力を信じていなかった。李有甫氏は彼の身体に何も触れずに、彼に「今、あなたは冠状動脈性硬化症、十二指腸潰瘍、右足の関節炎に罹っている」と伝えた。中医師は暫く沈黙した後に、急に机を叩きながら、「今日から私は気功を信じることにしました」と話した。

李有甫氏はかつて北京積水潭病院、262病院、中国科学院民族所、清華大学などの部門と協力して、計4000人に対して遠隔診断を行ない、その正確率はほとんど100%であった。その後、多くの北京の高層幹部、国家主席を含む、部長(国家大臣)、将軍などの人物も、彼に診断してもらうこともあった。診断を受けた多くの人は、このことがきっかけで、気功は本当の科学であることを信じるようになった。

(続く)
関連記事
米アラバマ州のパパが、10年以上にわたってトレードマークだったヒゲを剃り、子供たちに衝撃を与えました。
白衣を身にまとい、蓮の台座にたたずみ、柳の枝を片手に、純水の入った壺をもう片方の手にする観音菩薩は、慈母観音としても知られます。
WHOは、5月27日に開催される世界保健総会に先立ち、パンデミック条約の一部条項を緩和したが、アメリカの批評家たちは、これらの変更が政策に対する懸念を十分に解決していないと指摘している。
全ての中国人は黄帝に遡ると言われています。黄帝は、のちに中国となった土地を最初に治めました。紀元前2697年から統治し、黄河の原野に住む民族を1つの政府のもとに統合しました。
人類社会の暁、神仙が地上をよく訪れていた頃、一人の若い女性が巨人の足跡を踏んでみました。この神秘的な出逢いから、女性は身ごもり、実に稀な男の子を生みました。