国境なき記者団:北京五輪委前で記者会見、記者らの解放を呼びかけ

【大紀元日本8月8日】本拠がパリにある報道自由を唱える国際団体「国境なき記者団」(Reporters Without Borders)の代表らは、8月6日に、北京オリンピック委員会(Chinese Olympic Committee)オフィスの前で記者会見を開き、中国共産党(中共)が報道メディアに対する制圧に抗議し、未だに中共当局に監禁されている記者、インターネットで異議を発表した人士および言論自由活動家たちなど100人近くの解放を呼びかけた。

記者会見終了後、今回の会見を取材または参与した外国人記者十数人は、全員が中国当局の警察に勾留され、取り締まられた。「国境なき記者団」ウェブサイトの情報によると、今回は、同団体関係者のほかに、アジア・欧州等地区の責任者も記者会見に参加した。参加者たちは、手錠で繋がった五つの輪にデザインされたTシャツを身に着けていたという。

同団体の秘書長ロバート・メナード(Robert Menard)氏は、「中国監獄の影の下で、オリンピックのような大規模のスポーツ大会を開くことはできない。中共当局はすでに五輪を強制的に連行し、政府当局が唱える『同じ世界、同じ夢』のスローガンはますます非現実的になった。それ以上に、北京は人権状況改善の承諾を履行していないのにも拘わらず、オリンピック・スポーツ精神を宣伝し続けていることがもっとも風刺的だ」と指摘した。

「国境なき記者団」の責任者および代表らは国際オリンピック委員会主席に対して、直ちに行動を取り、中国当局に対して獄中にいる記者およびネット異議人士を解放させ、インターネットの検閲を止め、外国人記者が中国国内で自由に活動ができるように呼びかけた。

英BBCによると、北京警察は、当時「国境なき記者団」の抗議活動の取材をしていたAFP通信社記者を含む十数人の外国人記者を一時勾留したという。記者たちは1時間ほど勾留された間に当局より何の説明もなかったという。警察は中国外交部(外務省に当たる)と電話のやり取りの後に、記者たちを解放した。

一方、国際人権団体アムネスティー・インターナショナルは1週間前に、中国は2008年北京五輪の前に、国内の人権改善において進展はないとし、改善を急がなければ、北京五輪は中国ないしオリンピック大会および世界にとって汚点になると指摘した。

ロイター通信社はアムネスティー・インターナショナルのアイリン・カーン秘書長の言葉を引用し、中国では依然として多くの人権侵害が存在しており、これはオリンピック精神の蹂躙であると非難した。オリンピック憲章は人類の尊厳および基本的道徳に対する普遍的認識を守ることが原則であると強調した。

AFP通信社によると、アムネスティー・インターナショナルは8月7日に発表した「中国:オリンピック・カウントダウン――人権改善承諾を実現するまでに1年間」を題にした報告書の中で、死刑制度、法的手続き行わない拘留、人権民主および報道自由を含む中国人権問題の4つの主要方面において調査を行った。

報告は、中国当局は依然として裁判せずに行う拘留手段で、異議者を追い払い、人権活動家および記者たちが恐喝虐待を受け、北京の一部の人権活動家および異議人士はある種の軟禁と警察の厳しい監視制御を受けており、その他の地方における活動家たちは更なる深刻な虐待を受けていると指摘した。

「国境なき記者団」は今年6月末、中国は国際社会を無視し、人権改善の承諾に背いて裏切ったことから、来年の北京五輪のマークを手錠のロゴマークに変えたと強調した。

(記者・辛菲)
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