英国バイリンガル子育て奮闘記(5)

就学前(1989~1992年)カラスなぜなくの〜

 ちょうど絵本を眺めて言葉を発し始めた頃、「部屋の中のもの」と題する絵本のページで、テレビの中でマイクを持って歌う女の人を指さして、アンは「なじぇ、なじぇ」と言い始めた。何を言いたいのか、すぐに「ピン」ときた。歌と言えば童謡。童謡と言えば、私の口から一番多く出る日本の童謡は『カラスなぜなくの』だった。絵本の中の歌う人を指して「カラスなぜなくの〜」と一緒に歌っていたわけだ。

 思い起こせば、異国の病院での出産、初めての赤子の世話。出産後、子供は産湯につかわされず、身体を拭き取られるだけで、その代わりに産婦が夫の介護のもとで風呂に浸かる。午前中の出産だったため、遅めの昼食が運ばれてきた。夕食も運ばれてくるのを待っていたら、同室のお母さんが「自分で取りに行くのよ。その方が回復が早いの」と教えてくれた。当時のイギリスのトレイは、プラスチック製ではなく、とにかくどっしりと重く、病院の廊下をそろそろと歩いたのを覚えている。

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なんの機縁か、英国南西端のケルト系の地、コーンウォール州の片田舎で一人娘アン(仮名)の子育てをすることになった。夫はイギリス人。日本企業は皆無。日本人といえば、国際結婚をした女性が数名。こんな環境で、私は日本語だけ、夫は英語だけを娘に使用するという、バイリンガル子育てが始まった。言語に留まらず、日英の文化の根本的な違いを痛感させられる18年間だった。
子供が自力で動き回るようになれば、当然危ないことにでくわす。ハイハイが始まったら、ストーブに手を近づけないように恐い顔をして「ダメ」と言い、子供の身を守る。躾の面でも「ダメでしょ」「早く寝なさい」「歯を磨きなさい」と、親から子へのメッセージは、上から下への命令口調になりがちだ。
英語より日本語の方が,幼児語が多い気がするのは、私が日本語で生まれ育ったせいだろうか。英語では、大人の会話通り幼児に語りかけるが、日本語では、幼児に対しては幼児語を使う。たとえば、「だっこ」は、英語で「pick me up」。
童話の読み聞かせは言語の発達に欠かせない。幸いなことに、ロンドンに滞在していた先輩が日本に帰国することになり、良い絵本をたくさんいただいた。おかげで就寝前の日本語での読み聞かせを習慣化することができた。
娘の日本語環境は、母親の語りかけとビデオ程度だった。テレビ漬けにならないように、「マミーの言葉の映るビデオさんが疲れちゃうからね」と、30分たったら、バスタオルをかけてビデオさんにおねんねしてもらっていた。耳から入る日本語が限られている状態で、娘が自分で文法を構築していることが分かってきた。
離乳食が始まるとハイチェアに乗せて、1日3回、365日、「いただきます」と「ごちそうさまでした」を繰り返して聞かせることになる。なるほど、これだけ定期的に同じ音を耳にしていれば、どんな言語も定着すると一人で納得していた。
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