英国バイリンガル子育て奮闘記(65)新しいクラスメートたち (1998年 秋)

【大紀元日本12月13日】新しい学校は少数精鋭というわけではなく、主流の教育に乗り切れなかった子どもたちも混ざっていた。ここで耳にした言葉は、ディスレクシア(Dyslexia)。学習障害の一種で、辞書には難読症という訳があった。

英単語を読むには、アルファベットをひとまとめに見る能力が必要だそうだ。日本語のひらがな、カタカナや中国語の漢字のように、一つの文字が一つの音を表わしていないからだ。目がうまく作用せず、アルファベットが順に頭の中に飛び込んでこないとかで、どうしても単語を一目見てつかみとることができない子は、英語圏では少なくない。そういう子は、読み進みが遅く、スペルもできなかったりする。普通に学校に通っていると、出来の悪い子、のろまな子としてイジメの対象になりがちだ。

専門家の診断を受け、学校側も配慮するようになると、目に見えて学力があがるようで、新しい学校はこのディスレクシア対策が整った学校のようだった。わずが十余名の一クラスに3人はいたと思う。試験時間も30分長く割り当てられたりする。紙面の文字は苦手だがコンピュータなら大丈夫という子もいて、それなりの配慮があったようだ。

不況で一度潰れかかった私立だったが、新しい校長先生のもとで、他校にないものを提供しようという意気込みがみられた。ディスレクシアへのきめの細かい指導の他に、イジメ対策なども徹底しているようだった。小さかったクラスも、日を重ねるにつれ、転校生が増え、なんとか学校らしくなっていった。

私立だから、医者とか弁護士とか専門職の子弟が多いかと思ったら、逆に地元の自営業者の子弟たちが送り込まれていた。自分たちに与えられなかったチャンスを子どもたちに与えたいという発想のようだった。

また、小さな学生寮もあり、わずか10歳から受け入れていた。香港からの中国人も送り込まれていた。

(続く)

 著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。