【伝統を受け継ぐ】 江戸の大道芸「南京玉すだれ」

【大紀元日本1月22日】「アさて、アさて、アさてさて、さてさて、さては南京玉すだれ・・・」小気味よいリズムに乗って、手にした四角い竹製のすだれがスッと伸びて竿状になる。「浦島太郎さんの釣竿に、さも似たり・・・」と口上、見る間に円形になり、次に魚の形に変わる。ユーモラスな動きと口上、それに合わせてすだれが次々と巧みに変形する。

おとそ気分がわずかに残る1月12日、西宮市夙川公民館に伝統民間芸能の名手が集まって芸を披露した。南京玉すだれ、皿まわし・傘まわし、ガマの油売り、安来節のドジョウすくい、津軽三味線、のこぎり演奏、そして中国の少数民族に伝わるひょうたん型の笛フルスの演奏まで加わり、その華やかな様子はさながら万華鏡のようであった。

日本の大道芸は奈良時代に大陸から伝来した曲芸、奇術などの雑技「散楽」を起源とし、平安から室町期の「田楽」などを経て、江戸時代にその最盛期を迎えた。都市化の進んだ江戸、大阪、京都で火災の延焼を防ぐために設けられた空地が盛り場となり、そこで、薬売り、飴売りなどが面白おかしい芸を見せて人を集めた。当時は300に上る演目があったといわれるが、明治以後の近代化とともに、あるものは歌舞伎のように洗練された伝統芸能となり、あるものは座敷芸としてわずかに残り、多くは消滅していった。

一方、伝統文化を見直す風潮と世界的な大道芸復活の盛り上がりで、江戸の大道芸が活性化している。その仕掛け人の一人が八房流(やつふさりゅう)南京玉すだれの大師範であり、「日本南京玉すだれ協会」の専務理事を務める八房善香(本名・舟貝政夫)さんである。

舟貝さんの前身はサラリーマン。高校卒業後、関西電力に入社し、62歳の定年退職まで関電マン一筋の人生であった。仕事のかたわら「人生は楽しむべき」をモットーに、俳句、三味線、ウクレレなどを習得、どれも趣味の域を超える腕前である。上達の秘訣をたずねると、「日々、継続すること」これに尽きるという。

八房善香さん(写真=舟貝氏提供)

南京玉すだれに出会ったのは、定年を数年後に控えた2000年の落語会でのこと。本演目の落語より多くの拍手をもらった南京玉すだれに魅力を感じた。良き師匠に出会い、舟貝さんの趣味がまた一つ増えた。好きこそものの上手なれという通りメキメキ上達し、「八房善香(やつふさぜんこう)」の名をもらうまでになった。これが定年後の第2の人生、現在の活躍に繋がっていく。

舟貝さんのシニアライフは多忙である。定年退職後、立ち上げた「フナガイ企画」の事業として、各地のカルチャーセンターで三味線教室、ウクレレ教室、南京玉すだれ教室と、週の半分は指導にあたっている。その他にも、出演の依頼が舞い込む。個人や会社・団体などの宴会・パーティー、商店街のイベント、老人ホーム、幼稚園・保育園など1年を通じて途切れることがない。「今も充実しています。人生二毛作ですかね」と語る舟貝さん。充実したシニアライフを送るコツは何かという問いに「好きなことをすること」そして「教えを乞う勇気を持つこと」という答えが返ってきた。

舟貝さんの夢は、大道芸の楽しさをもっと多くの人に知ってもらい、愛好者を増やすこと。日本だけでなく、世界の人にも・・・と夢は広がる。昨年は50人のグループで上海万博にも参加した。2005年からは南京玉すだれ発祥の地とされる富山県五箇山で2年ごとに選手権大会を開催する。回を追うごとに参加者は増え、25都道府県から100人以上が参加するという。今年7月23日に行われる第4回選手権大会に向けて、実行委員長の舟貝さんの出番はますます増えることだろう。

南京玉すだれ。今年1月、夙川公民館にて(写真=大紀元)

小学生に傘回しを見せる舟貝さん(写真=舟貝氏提供)

(温)