英国バイリンガル子育て奮闘記(94)ドイツのケルンへ(2002年)

【大紀元日本7月4日】娘が国外に行った時のことを思い出した。ちょっと話が前に戻るが、小学校の頃、ユーロトンネルを通ってパリに連れて行ったことがある。英国人の夫が、英国とフランスをつなげるということは、ナポレオンもできなかったことだから、これは体験するしかない、とわざわざ英国の南西端から鉄道を使ってパリに行くホリデーを企てたのだ。娘にとっては初めての日本以外の外国。言葉の分からない異国文化にかなりの不安を覚えたようで、一週間の滞在の後、早くお家に帰りたいとシクシクし始めた。そしてトンネルを抜けて「イギリスだよ」と言ったら、豹変してニコニコし始めた。日本とヨーロッパの違いなら分かるのだが、私にとっては似たような景色だ。どこが違うのかなあと懸命に悩んだ。

中学2年になって、フランス語に加えてドイツ語の授業も履修するようになった。そして、ドイツ語の先生がケルンに知り合いがいるとかで、ホームステイの話が持ち上がった。高校の生徒も合わせて20名くらいがケルンの家庭に1週間ほど滞在した。

事前に親の懇談会があるとかで参席したが、家が点在している田舎のため、何時の電車にどこそこの駅から乗リ合わせるのでいいのか、といった質問ばかり。子供が国外に行くのに、言語の心配はないの?と「あのう、家の娘、ドイツ語を9月に学び始めたばかりで、数字もおぼつかないんですけど…」と心配したところ、「大丈夫よ。ドイツ人の英語の方がイギリス人の英語よりしっかりしてるんだから」と一蹴されてしまった。

英語圏で生まれ育ってしまうと、外国語を学ぶ機会に恵まれなくなるんだとつくづく感じさせられた。そして娘のホームステイは、実際、このお母さんが私に言った通り、言葉の不自由なく過ごしたようだった。受け入れ家庭は、自分の子供たちが英語を覚えるように、と願っており、休暇ごとに英国のカンタベリーとか、娘が行ったことのない英国をいろいろ知っている家庭だった。

娘がドイツで苦労したのは英語の授業だったらしい。文法を尋ねられたり、例文を読ませられたりしたが、聞いたことのない文法用語やら、不自然な例文で参っていた。

ケルンでは、大聖堂に圧倒され、大きなスケートリンクに行ったとか、都会の空気に興奮して帰ってきた。

2年後、同じ子供たちが、コーンウォールを訪れたが、ティーンエージャーが興奮するような体験のお返しはできなかった気がする。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。

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