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「党文化」の害毒

中国文化について言えば、「文化」と名付けられたものを無条件に受容してはならない。文化を装った「偽文化」がある。それが恐るべき毒饅頭であるかも知れないからだ。

 中国共産党(中共)が自己正当化のために作った偽文化を「党文化」と呼んでいる。

 中共は、その残虐性を覆い隠すほど巧妙かつ悪魔的に、対外宣伝とプレゼンテーションの技術に秀でていた。それは中国人のみならず、全人類にとっての大きな不幸であった。多くの海外の知識人や中国研究者が、それにまんまと騙され、「新中国」の熱狂的なシンパとなって中共の提灯持ちを務めたからである。

 日本の学術界・大学等においても、その害毒の影響ははなはだしかった。いま手元に開いている岩波新書『中国現代史(改訂版)』(岩村三千夫・野村四郎著)は、1983年発行の第24刷である。改訂版になる前の同書の初版は54年(昭和29年)の発行で、こちらも私の書架にあるが、いずれも資料的価値はすでにない。ただ日本人の、過去の無知の証拠として、戒めの意味で捨てずにいるだけのことである。

 同書の全編が、中共に対する甘美な幻想で書かれている。改訂版の220ページより、一部を引用する。

 「ふるい中国であったならば、1960年のような規模の自然災害を一年うけただけでも、被災地区の農民は郷土をすてて離村し、至るところで数十万から数百万の餓死者をだした。しかし、新しい中国のもとで、三年つづきの自然災害をうけても餓死者はでなかったし、離村現象さえみられず、農民たちはあくまで郷土をまもって生産をつづけた。この一つのことをもってしても、新中国十余年の改造と建設が、いかに大地に深く根をおろしたかを知ることができる」

 24刷まで増刷されたとすれば、相当息の長いベストセラーであったと言ってよい。権威ある出版社の定番シリーズであることが売れ行きを後押ししたに違いないが、今日その内容を見ると、正直ぞっとする。

 「三年つづきの自然災害をうけても餓死者はでなかった」とは、一体どこの国のことか。

 中国国内ではこの頃、無謀な大躍進政策の必然的失敗によって数千万人に及ぶ餓死者を出すという、阿鼻叫喚の飢餓地獄にあったのである。

 知られざる偽文化の浸透

 中国で生まれて教育を受け、点滴を打たれるように「党文化」を大量注入された中国人とは異なるが、日本人もその害毒の影響を大いに受けた。

 その媒体となったのが、「党文化」にまみれた舞踊・演劇・映画・音楽・語学教材、あるいは中国共産党傘下の新聞・ラジオなどのメディアであった。その影響を受けた日本の書籍の多くも、中共の本質を見抜けず、「新中国」を肯定的に論じたのである。

 また40年ほど前、中国語学習の教材が乏しい時代に、短波の北京放送を耳をこらして聴き、「人民日報」をなめるように読んで中国語を熱心に勉強した世代がいた。それがのちに大学教授となって学生に講義し、「党文化」の二次的被害をもたらしたのだ。

 1970年代から90年代まで、NHKのテレビやラジオの中国語講座に流れていた歌「北風吹」は、革命バレエ劇『白毛女』の主題歌である。

 歌劇のほか、映画やバレエにもなった『白毛女』は、要するに「旧社会把人逼成鬼、新社会把鬼変成人(旧社会は人間を妖怪にするが、新社会は妖怪を人間に生まれ変わらせる)」というスローガンのもと、中国共産党賛美で徹底された革命模範劇の一つである。そのあらすじをここに挙げることは積極的になれないが、およそ以下のような内容である。

 悪辣な地主の手にかかって身ごもった貧農の美しい娘・喜児は、逃げ込んだ山中の洞窟で子を生むが、殺してしまう。悲しみのあまり白髪になってしまう喜児。彼女のかつての婚約者であり、その後共産党軍(劇中では八路軍)に参加していた若者が喜児と再会する。村は共産党軍によって「解放」された上、喜児も黒髪にもどって若者と結婚し、大団円となる。

 先述のテレビ・ラジオの中国語講座に、その政治宣伝劇が直接でてくるわけではない。しかし偽文化の色調を帯びた音楽がバックに流されれば、その害毒は、知らずして広く日本の視聴者にも浸透する。「党文化」の恐ろしさとは、そういうものである。

(牧)

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