【神韻公演】アジアツアー開幕 トップ飾る2・14東京公演に、石原都知事も祝辞でエール

【大紀元日本2月11日】アメリカ・カナダの各地を回り、北米に感動の嵐を巻き起こした神韻2012世界ツアー。その神韻が、いよいよアジアへ感動の舞台を移す。

石原都知事、神韻公演へ祝辞で激励

アジアツアーのトップを飾るのは、3団ある神韻芸術団のうちの神韻ニューヨーク芸術団による、2月14日開催の東京公演である。

昨年4月に予定されていた前回の神韻日本公演は、東日本大震災の影響によりやむなく中止となった。日本全国の神韻ファンにとって今回の公演は、まさに2年越しで待ち望んだ感動の春風ということになる。

その東京公演に先立ち、石原慎太郎・東京都知事が祝辞を寄せ、神韻日本公演の成功へ向けて激励のエールを送った。

石原都知事からの祝辞は、次の通り。

「このたび、神韻2012世界ツアー日本公演が開催されますことを心からお慶び申し上げます。本公演は、中国古来の伝統文化を創作のテーマとし、伝統芸術の継承を目指し、ニューヨークを始め、世界各地で上演されていると伺っております。メッセージ性の高い優れた舞台芸術である神韻芸術団の日本公演は、見る人に大きな感動を与え、伝統や文化の大切さを感じてもらえるものと思います。結びにあたり、公演のご成功と皆様の一層のご活躍を祈念し、私の挨拶といたします。東京都知事 石原 慎太郎」(祝辞、以上)

神韻芸術団、爽やかに成田へ到着

2月10日午後4時、先日カナダ公演を終えた神韻ニューヨーク芸術団の一行が、太平洋を越えて成田空港に到着した。

総勢およそ80人からなる一行は、長旅の疲れも見せず、若々しく爽やかな笑顔で日本到着の嬉しさを表現した。迎えに来た日本側の準備スタッフは、顔見知りの団員らとの久々の再会を喜ぶとともに、ここに至るまでに日本で乗り越えた数々の苦難を思い、感激もひとしおであったという。

団員の一人で、以前にも来日したことのある王項楠さん(女性)は、日本を再び訪れた喜びを次のように語った。

「昨年は、大震災のために神韻日本公演を行うことができず、私たちも本当に残念でした。しかし今年は、こうして純善・純美の芸術である神韻を日本の皆さんにご覧いただくことができ、とても嬉しいです。北米公演では連日満席の賑わいになりましたが、14日から始まる日本公演には、さらに多くの観客に来ていただけると信じています」

東京公演の会場は、JR有楽町駅より徒歩1分の東京国際フォーラムCホールで、最新の音響設備が整った同ホールは、本格的なクラシックコンサートからミュージカルまで、一流のコンサートやエンターテインメントが上演される、舞台芸術にとって理想的な空間である。

神韻公演の魅力は、優美で清らかな中国古典舞踊をはじめ、華やかな民族舞踊、二胡の独奏など中国伝統文化の真髄とともに、現代中国に実在する勇気ある人々を描いた舞踊劇も見逃せない。

また、西洋の楽器と中国の伝統楽器を融合させた神韻オーケストラの生演奏による伴奏は、世界に類を見ない神韻公演ならではの独特な音楽として、多くのファンをもつ。 

今回の神韻日本公演は、2月14日の東京公演(昼・夜)を皮切りに、17日名古屋(昼・夜)、19日広島(夜)、21日西宮(夜)の各地で、計6回のステージが開催される。

東京公演のチケットコールセンターは、電話03-5856-8881。

現在、いずれの開催地でも、チケット好評発売中。

(各地公演とチケットの情報は、http://www.ticket-online.jp/をご参照ください)

 (牧)
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