【漢詩の楽しみ】 望天門山(天門山を望む)

【大紀元日本7月14日】

天門中断楚江開

碧水東流至北廻

両岸青山相対出

弧帆一片日辺来

天門(てんもん)中断して楚江(そこう)開く。碧水(へきすい)東流して北に至りて廻(めぐ)る。両岸の青山、相(あい)対して出で、弧帆一片、日辺(じっぺん)より来(きた)る。

詩に云う。天門山が真二つに断ち割られ、その真ん中を長江が流れている。東に向かって流れてきたみどりの河水は、ここで方向を大きく変え、北へ至らんとするのだ。両岸には、向き合うように突き出た青い山。その間を、ひとひらの帆を上げた我が船が、はるか彼方の沈む太陽のあたりから流れ下ってきた。

李白(701~762)53歳ごろの詩。

天門山とは安徽省にある二つの山の総称で、北へ流れを変えた長江をはさんで、東の博望山と西の梁山が向かい合うようにそびえている。楚江は長江の別名で、戦国時代にこの地が楚の国のであったことにちなむ。

長江という呼び名も李白の当時からあったことは、「弧帆遠影碧空尽、唯見長江天際流」の詩でもよく知られている。

その句が、李白の有名な一首「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」であることは言うまでもない。生涯の親友である孟浩然の没年(740)から推察して、「黄鶴楼」の詩は李白が37歳ぐらいの作とされているが、表題の一首には、その「黄鶴楼」および李白が青年期に詠んだ「早発白帝城」をモチーフにした跡がしのばれる。

ただ「黄鶴楼」と異なるところは、この詩で船に乗っているのは李白自身であるとともに、雄大な長江の風景を前面に出して、詩中にある自身の人生観の表出などはひかえているところだろう。

李白が、唐詩を代表する第一人者であることは評価を待たない。ただ李白にも、秀作とは言いがたい俗っぽい詩もある。私見ながら、詩の中でおかしな「自分出し」をせず、標題の一首のように自然描写に徹したほうが、よほど李白らしくて好ましい。 

(聡)
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