【漢詩の楽しみ】 山間秋夜(さんかんしゅうや)

【大紀元日本10月13日】

夜色秋光共一闌
飽収風露入脾肝
虚檐立尽梧桐影
絡緯数声山月寒

夜色(やしょく)秋光(しゅうこう)共に一闌(いちらん)。飽くまで風露(ふうろ)を収めて脾肝(ひかん)に入る。虚檐(きょえん)立ち尽くす、梧桐(ごどう)の影。絡緯(けいい)数声(すうせい)山月寒し。

詩に云う。ふけゆく夜の気配に、冴えわたる月の光がともなって、欄干をつつんでいる。そんな秋の夜、私は夜風と露を集めて、存分に体内の臓腑に取り入れるのだ。そうして、青桐が影を落としている人気のない軒端に立っていると、しげみの中のコオロギが鳴き出して、山月の寒さを一層感じさせるのである。

作者は真山民(しんさんみん)と呼ばれている。北宋末から南宋の初めの人とされるが、その姓名や出身地など詳しいことは一切分からない。

北方の異民族王朝である金により、北宋が滅んだのが1127年。以後、漢民族の宋王朝は南遷して臨安(杭州)を都とし、淮河以南の地をもちこたえて約150年つづく。

真山民は北宋末期の遺民で、おそらくは進士に及第した才人であり、平時ならばそれなりに栄達した人物であっただろう。

姓の「真」は、他の文献のなかにみられる記述から後人が推測したものだが、「山民」は本人が名乗ったもので、言わば世捨て人としての自身を宣言するペンネームである。

そのせいか、この一首には、陸游の詩のような、亡国の遺民にありがちな、ほとばしる憂国の思いや捲土重来を誓う激情は全くみられない。

世捨て人とはいっても、実際に人里離れた山中に住んでいるわけではない。本当に神仙の秘術を会得するため山奥に入るならば、世俗の諸事である詩作さえも捨てるだろう。

それでも真山民と呼ばれるこの隠者詩人は、秋の夜の庭先に立ち、澄み切った夜の気を腹の底まで吸い込んで、大自然と一体になろうとしている。

その名に近づく過程にある、といっていい。

 (聡)