【漢詩の楽しみ】 別董大(董大に別る)

【大紀元日本11月19日】

千里黄雲白日曛
北風吹雁雪紛紛
莫愁前路無知己
天下誰人不識君

千里の黄雲(こううん)白日(はくじつ)曛(くら)し。北風、雁(かり)を吹いて、雪紛紛(ふんぷん)。愁(うれ)うる莫(な)かれ、前路(ぜんろ)に知己(ちき)無きを。天下、誰人(たれびと)か君を識(し)らず。

詩に云う。夕暮れの黄色い雲が千里の彼方までたれこめて、日輪はおぼろにかすんでいる。その遠い空をゆく雁には、北風が吹きつけ、雪が紛々と降りかかることだろう。君よ、これから行く道に知己のいないことを悲しんではいけない。この天下に、誰が君の名を知らないことがあろうか。

盛唐の詩人、高適(こうせき)の作。没年は765年だが、生年ははっきりしない。744年ごろには、李白杜甫とともに、河南あたりを遊歴したらしい。ただ高適が後に、安禄山の挙兵(755)に続く乱世のなかで頭角を現し、皇帝にも諫言できる諫議大夫などの高位にまで栄達した点は、李杜との大きな違いと言えるだろう。

董大とは、他の詩人の作品から推察して、董庭蘭(とうていらん)という琴の名手のことらしい。長安で知らないものはないほどの腕前だったというが、ある収賄事件に係わった後は、琴を弾きながら各地を流れ歩いたという。

その漂泊の音楽家に、詩人は精一杯のはなむけの詩を贈る。前半の二句は、寒さのしみる初冬の情景だが、それは同時に、空を行く雁に北風や雪が吹きつけるごとく、董大がこれから歩む人生で味わう辛苦のほどを暗示しているとも言える。

後半の二句は、精一杯の励ましの言葉ではあるが、ここは何度読んでも悲しい。旅立つ友へ激励を込めてつづられた詩句のどれにも、今生では再び会えないかも知れぬという悲壮感が満ちているのだ。

通信機器が無駄なほど発達した今日において、本当の別離を知らぬ現代人が、この詩に共感するのは残念ながら難しいかも知れない。 

(聡)