唐代の大詩人である李白は、結婚後、妻の実家に住んでいました。
李白は古楽府体(中国の昔の詩の形式のひとつ)の形式である『長相思』という詩を詠み、晩春の折、奥深い閨(ねや)で物思いにふける若き妻が、景色に心を寄せながら、遠く薊北(けいほく)で従軍している夫を思い慕う様子を描いています。
詩を書き上げた後、李白は自分の出来にある程度満足していました。
ふと振り返ると、妻が後ろから首を伸ばして詩をのぞき込んでいるのが見えました。李白はうれしくなって、詩の原稿を妻の方に差し出し、感想を聞いてみました。
妻は、すでに亡くなった宰相・許圉師(きょぎょし)の孫娘でした。彼女はこう言いました。
「この二句、少し妥当(ただ)しからぬ」
李白が見てみると、妻が指摘したのは、まさに自分が一番気に入っていた結びの二句――「妾が腸断つを信ぜぬならば、帰り来たりて明鏡の前にてご覧あれ(意味:私が断腸の思いに沈んでいるのを信じられないなら、帰ってきて鏡の前で私の姿を見てください)」――だったのです。
李夫人はこう説明しました。
「武後(武則天:中国史上唯一の女帝)に同じ題の詩があったことを覚えています。その最後の二句はこう結ばれていました。『信ぜぬならば、常に涙を流すことを見、箱を開けて石榴裙 [1]を見よ(意味:信じられないなら、これでいつも涙を流しているのを見て、箱を開けて石榴色のスカートを確かめてごらんなさい)』
この結びはどうやら、あなたの二句よりも少し優れているように思えます」
李白は妻の批評を予想しておらず、その意見を素直に受け入れました。彼は心から納得し、妻の意見が非常に鋭いことに気づきました。
元の詩句を見てみると、「断腸」の二字が誇張されているかどうかはともかくとして、情節の構成としては、少し空虚でつながりがなく、まとまりを欠いているように思えます。
「帰り来たりて明鏡の前にてご覧あれ」とありますが、明鏡の前でどのような姿を見せるのか、誰にも分かりません。
一方、李夫人が引き合いに出した武則天の二句の詩は、非常に生き生きとした情景を提供しています。
妻が久しぶりに再会した夫の前で、衣装箱を開け、一つ一つ紅い裙に残る涙の痕を指摘し、それが悲しみを語る証拠として描かれています。
これにより、詩はずっと明確で深みが増し、構成もより緊密で、つながりが強く安定しています。
[1]石榴裙:ざくろ色の下衣
(翻訳 陳武)
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