【漢詩の楽しみ】 贈 別(ぞうべつ)

【大紀元日本12月17日】

多情却似総無情
惟覚罇前笑不成
蝋燭有心還惜別
替人垂涙到天明

多情は却(かえ)って、総(すべ)て無情なるに似たり。惟(ただ)覚(おぼ)ゆ、罇前(そんぜん)に笑(わらい)の成さざるを。蝋燭(ろうそく)心有りて、還(ま)た別れを惜しむ。人に替わりて涙を垂れ、天明に到る。

詩に云う。感じやすい心とは、総じて、何も感じない心に似ている。ただ自覚しているのは、別れの酒を前にして、悲しみのあまり笑うことのできない我が身のことだ。ああ、この蝋燭にも別れを惜しむ心があるのか。私に代わって蝋の涙を流し、いつしか夜が明けてしまったよ。

晩唐の詩人、杜牧(とぼく、803~852)の作。作者がエリート官僚として、江南の揚州にいたころの作である。

この贈別の詩は連作であったらしく、現在は二首が残されている。冒頭の詩は第二首であるが、その前の第一首をみると、この詩が艶やかな恋愛詩であることが分かる。

当時の作者は若く美男子で、立身出世も約束された歓楽街の花形だった。そんな杜牧の心を奪ったのは、まだ幼さを残す、美しい13歳の少女の芸妓である。

第一首では、その少女の美しさについて、「簾を巻き上げて眺める春の揚州の風景も、この娘の美しさには及ばない」と絶賛している。

別れの理由は定かではないが、想像するに、杜牧が33歳の若さで監察御史に抜擢され、洛陽へ栄転したためであろう。

芸妓を相手とする詩ならば酒宴の座興の一首とみることもできるだろうが、この詩のもつ清澄な美的世界からは、そのような戯れ言は全く窺われない。

杜牧は、少女に本気で恋していたのだろう。しかし二人は、ひとときを共に過ごすことができても、離れなければならない運命を、それぞれ負っている。

その悲しみを代弁するのは、蝋涙(ろうるい)を流す一本の灯火である。さながら映画の名場面を見ているようで、なんとも心憎い。

(聡)