漢字で運勢を占う方法

中国古代から伝わる占い法の一つに、「測字」(そくじ)がある。字を読んで運勢を解読する方法で、三国時代の諸葛孔明から伝わったといわれている。

 明朝の末ごろ、李自成が反乱を起こした。明朝は日に日に危うくなり、崇禎帝(すうていてい)は危機感を覚え、寝食もままならず、落ち着くことができなかった。当時、紫禁城の近くに「測字」に通じる者があり、よく当たると噂されていた。崇禎帝は胸中の苦悶を少しでも軽くしようと、私服に着替え、この「測字」の者を訪ねた。

 崇禎帝は「友」(発音はユウ)という字の運勢を解読するよう頼んだ。すると、占い師は「友」は「反」の字から頭が出たもので、反乱の頭目が現れたことを意味しており、不吉であると言った。

 崇禎帝はこれを聞くと、あわてて、「友」ではなく「有」(発音は同じユウ)を解読してほしいと頼んだ。すると、「有」は「大明」の二文字の半分ずつを合わせた文字で、災いを意味していると答えた。つまり大明朝の天下はすでに半分を失っており、大災難が来ることを意味していた。

 崇禎帝はそれを聞くと、顔色を失った。彼は何とか違う運勢を聞きたいと願い、今度は「酉」(やはり発音はユウ)という字を示した。その答えは「酉」は「尊」の字の頭と尻尾を切り落としてできたものであり、大勢はすでに去って行ったということだった。つまり、国家の最も尊い人はすでに首と尻尾を切り落とされて、大勢がすでに挽回できなくなったのだ。

 その後、崇禎17年3月、李自成の軍勢により紫禁城が陥落し、崇禎帝は万寿山で首をつって自殺した。このようにして、明朝は滅亡したのである。
 

(翻訳編集・思斉)