「信言不美 美言不信」。この句の出典は老子の『道徳経』で、「信頼できる言葉は飾らず、飾っている言葉は信頼するに足りない」という意味である。
話をすること、それ自体には得手不得手があり、表現力も人によって違う。しかし、ありのままに話すことは殆どの人ができる。上手でなくてもありのままに話せば、それは無私で誠実な表現である。逆に言葉を飾って話した場合、そこには必ず何かしらの私(し)の目的がある。
飾りのない正直な言葉は聞く人にとっては耳が痛く、心苦しく感じるときもある。しかし冷静に考えると、このような真実を語る言葉こそが真に役立つ言葉である。逆に、綺麗に飾って耳触りが良く、美しく聞こえる言葉は、聞く人を歪んだ道に引きずり込むこともできる。
話すことが得意な人もいれば、聞くことが得意な人もいる。しかし、心が無私の状態にある人は、簡単に私意のある言葉を識別することができる。逆に心が汚れている人は、真実の言葉であっても善意に満ちた言葉であっても、自分の意に沿わなければすべて敵意のある言葉として受け取るものだ。このような人は美しい言葉に毒されていても自覚が無く、それどころか喜んですらいるかもしれない。名利心に溺れ、すでに真実が見えなくなってしまっているのだ。
(学)
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