中国伝統文化百景(13)

「八卦」の思想的根源と伏羲の中国文化への貢献

1、「八卦」の基本形態とその思想的根源

「易」という応用的な学問(哲学思想)の原理、その存在との関係および「八卦」の実用性について、『易経』繋辞伝上ではこう記されている。「宇宙が成り立つ初めに、天は尊く、地は卑く位置して、「乾・坤」という『易』の根本が定まった」ここでは「八卦」の成立を天地の創始に基礎づけているのである。また、「『易』には太極が有る。これが「両儀」を生み出す。「両儀」は「四象」を生み出す。「四象」は「八卦」を生み出す。「八卦」によって物事の「吉・凶」が定まる。「吉・凶」が大業を生み出すのである。」と記す。

『易経』繋辞伝上では、「太極」→「両翼」→「四象」→「八卦」という生成関係が記されているが、伏羲が画いた「八卦」は「太極」、「両翼」、「四象」から生まれたからには、前の諸要素と切っても切れない関係があるはずである。それらの関係を概括してみる。

『易』の論理によれば、「太極」ができた後、「両儀」すなわち「陰・陽」という相互対立する要素が自ずと生まれたとされる。概略的に言えば、「陽」は正義的、積極的、男性的なプラス要素を代表し、「陰」は邪悪的、消極的、女性的なマイナス要素を代表している。そういった基本的な性質からまた、自然界、人間界、物事の性質、方位、行動など、ありとあらゆる事象に適用することができるのである。

しかし、「陰・陽」だけをもっては、宇宙、自然、人間、事物などの森羅万象を十全に把握することはできない。それで、「両儀」である「陰・陽」はさらに「老陽」、「少陽」、「少陰」、「老陰」の四つに分けられ、より具体的な事象を観察、説明することができるようになる。それは「太極陰陽の図」の中にも反映されている。

『易』は、記号「╍」をもって「陰」を表し、「═」をもって「陽」を表しているが、この対立した2要素をそれぞれ「四象」の「老陽」、「少陽」、「少陰」、「老陰」に加えると、8種類の「象」すなわち、☰(乾)☱(兌)☲(離)☳(震)☴(巽)☵(坎)☶(艮)☷(坤)が形成されるが、これがいわゆる「八卦」なのである。

この8つの「象」(概念)があれば、天、地、人の森羅万象を概観することができるのみならず、それらをより詳細的、具体的に解釈し予測することもできるようになるのである。「八卦」は、中国文化・思想の中できわめて重要であり、中国文化・思想を抽象的な形而上学から具体的な形而下学へと具現化させ、かつそれを一段と昇華させた史的な進歩なのである。

このように、「八卦」は上を受けつつ下を起こすような中堅的、実用的なものとなり、下記の図に示すように、それは天人合一や道などの中国文化・思想と完全に一体化し、それらをもっとも代表できる形象化した文化表象(記号)を成し遂げたと言えよう。

前記の『易経』繋辞伝上では「無極」が言及されていないが、道学は「太極」の先にまた「無極」があるとした。もし、「太極」を陰陽もなく、混沌、根元、時間的・空間的な「無」であるとすれば、その「無極」は「太極」を生んだよりマクロ・ミクロ的な「無」の「無」となり、より基本的、根本的、原始的なものであると言わざるをえない。言い換えれば、「無極」こそが万物を創成したより原始的な要素なのである。

 「八卦」と中国思想・天地人との関係図

 無極➡太極➡両儀(陰・陽)➡四象(老陽・少陰・少陽・老陽)➡八卦(乾・兌・離・震・翼・坎・艮・坤)➡易経(六十四卦)⇔ 天地人・自然万物

 

2、伏羲の中国文化・思想に与えた影響とその意義

『易経』繋辞伝は「十翼」の一つであり、六十四卦三百八十四爻の凡例を通論し、『易』の原理や成立根拠、実践論理を説く経典として、従来『易』の研究と応用をする上で、きわめて重要視されている。「繋辞伝」はたいてい次のような内容を述べている。

「八卦」の成立を天地の創始に基礎づけ、『易』は天地の道理を尽くし、天地の道に準拠し、天地の道をあまねく条理立てている。聖人は『易』を作って、人事の戒めを示し、卦・象により三才の道を明らかにした。『易』は陰陽の道を尽くし、陰陽や人性などを明らかにしている。『易』の広大な理は道義の基本である。『易』は物事の変化に応じる教訓を示し、聖人は物事の変化を究明する。筮法の数の理、筮法の天地との対応関係を説く。『易』にある奥深い道を讃え、『易』を開物成務の神物であるとする。『易』は言語を超える完全な変通・事利の表現である。

卦・爻の道徳的な教訓、『易』は文化発生の元であるとする。卦・爻の構成と意義。子(孔子と思われる)が『易経』の教訓、六十四卦の完備を説く。『易』は徳の終始を示す。『易書』の理解方法を説き、その完備を讃える。乾・坤の徳を説く(注19:注15に同じ。)、等々。

「繋辞伝」の内容で示されているように、『易』は決して単なる占いの学問ではなく、それは中国文化・思想の集大成である。換言すれば、人文の始祖である伏羲は、中国文化・思想の礎を築き上げたと共に、後世に中国文化・思想を理解するための簡易な媒体をも提供してくれたのである。

中国文化・思想はその体系が壮大であり、内容は複雑で多岐に渡る。もし、種々雑多な文化・思想を生み出したその根本を把握、理解できれば、中国文化・思想の神髄を容易に抽象化して理解することができるのみならず、その複雑な文化体系を単純化することもできる。中国文化・思想の結晶である『易』はまさにそれのための1ツールなのである。『易』の神髄を理解できれば、こういった認識上・方法論上の進歩が得られるに違いない。

『荘子』胠篋篇第十に、「至徳之世」についての記述がある。「是の時に当たりてや、民は縄を結びてこれを用い、其の食を甘しとし、其の服を美とし、其の俗を楽しみて、其の居に安んぜり。隣国は相い望み、雞狗の音は相い聞こゆるも、民は老死に至るまで相い往来せず。此くの若きの時は、則ち至治のみ。」(注20:金谷治訳:『荘子』外篇、第二冊第56頁。岩波書店2003年4月第36刷。)この至徳の世は、「人は知があっても使うところは無し」という時代であったという。

伏羲の功績から見れば、彼が治めていた世は荘子の言う「至徳の世」であり、中国の文化・思想を率先して多く創造していた時代であった。伏羲が人類文化史に残した多くの貢献・功績の中で、もっとも偉大なのは「伏羲八卦」を創出したことである。したがって、伏羲の「至徳の世」においては、衣食住などのような低次元の文化より、高次元の文化・思想を創出した功績がよりいっそう高く評価されるべきである。

中国文化・思想の基軸は「天人合一」、すなわち無限大の時空に存在する「道」を全次元的な観点から認識し、天・地・人が一体化される中で、「道」に適した行動をとることにあると言ってよい。中国文化・思想史において、宇宙・生命の生成や万物の存在などを形而上学的かつ形而下学的に解釈するために、それらを認識、観測、予測、応用する媒体として「太極」、「河圖」、「洛書」、「八卦」、『易経』、「陰陽五行説」などが相次いで創られてきた。それらは、誕生した歴史時代や文化的背景がそれぞれ異なり、内容の構成や表象もそれぞれ相違しているにもかかわらず、本質論的に言えば、統合された分割できぬ集合体なのである。

もし、『易経』の64卦が天・地・人の森羅万象をもれなく概括、抽象化することができるとすれば、その基本である「八卦」はより洗練、凝縮された宇宙論であると言える。そして、この「八卦」はそれぞれ「陰・陽」を加えた「四象」からなっているし、「四象」はまた「陰・陽」から構成されている。そして「陰・陽」の「両儀」を生んだのは「太極」であり、「太極」を生み出したのは「無極」なのである。

中国文化・思想は、抽象的・形而上学的な「無極」、「太極」を原点とし、「陰・陽」、「四象」、「八卦」などを経て『易経』に至り、そして思想、学説、倫理、道徳、教養、修錬などありとあらゆる分野に適応するように展開されていったのである。もし、中国文化・思想を形而上学から形而下学へと発展してきたことを川に例えれば、伏羲が画いた「八卦」はちょうどその中流に位置している。中国文化・文明史において「八卦」は、はじめて具体的で応用可能な哲学的、文化的な方法論と実践法を提出したのである。それがそれ以降の中国文化・思想に与えた影響の大きさおよびその史的な意義については、すでに証明され、今さら言及するまでもない。ただし、伏羲の「八卦」に対しては、中国文化・思想の全次元に立って認識しなければ、理解不十分になりがちになるし、事と次第によると、誤解や軽視を招き得るのである。今後、中国の伝統文化がますます復興されていくことを願っているが、このような問題を看過してはならない。

                                                         (文・孫樹林)

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