レーニンも「非情な男」と呼んだ独裁者スターリン。1937年、モスクワで演説(AFP/Getty Images)
恐怖の大粛清

レーニンも「非情な男」と呼んだ独裁者スターリン

レーニンはロシア革命の後、「革命を確実に成功させるために、統治階級と文化人を粛清するしかない」との自らの言葉どおりに虐殺を始めた。1917年、レーニンは自ら秘密警察「チェカ(KGBの前身)」を組織し、逮捕、立案、量刑そして死刑執行の権力を付与して恐怖政治を始めた。1918年にはソ連初の強制労働収容所を設立し、ソ連邦では以降多くの収容所が建てられた。

ロシア革命後の世界 知られざる共産党と悪魔信仰 残虐なレーニン

恐怖の大粛清 独裁者スターリン

スターリンはレーニンの後継者として、次のような発言をしている。「友情をはぐくむことは最大の快楽だ。彼が君を信頼して頭を君の胸に近づけ、そして彼の背中にナイフの一撃を食らわせることができる、これぞ最高の快楽だ」。

スターリンは15歳の時にマルクス主義を志向し始め、神を離れ、悪魔崇拝を始めた。後日、スターリンが革命者として文章を書いた際、彼が最初に用いたペンネームは「悪魔」、その次が「悪魔のような」であった。

1912年、血も涙もない冷徹な人間であることを表す「鉄の男」の意味を示す「スターリン(Man of steel)」が、新たなペンネームとなった。レーニンでさえ、スターリンは「党内で最も冷酷で非情な人物」と評価した。一方で、ソ連共産党の高官ブハーリンは「彼は人ではなく、悪魔だ」と例えた。

1930年、ソ連は強制労働収容所管理局「グラーグ」を設立した。のちに社会主義各国はソ連の強制収容所を模倣したが、それは極端に劣悪な環境と非人道的な待遇で悪名高いものだった。スターリンが1953年に死去するまで、ソ連には170カ所の強制収容所が建設された。

モスクワにある、強制労働収容所「グラーグ」の歴史を紹介する美術館。展示は、スターリンの葬儀に参加中の、複雑な表情を浮かべる壮年女性の写真(VASILY MAXIMOV/AFP/Getty Images)

1930年から1940年にかけて、飢餓や重労働、非人道的な扱いにより50万人以上が強制収容所で死亡した。中には詩人や芸術家、学者そして研究者が含まれていた。

スターリンの時代には800万人以上が餓死する大飢饉も発生した。1930年代の大粛清は党や政治局、軍隊、中央政府そして地方政府に対する全面的な粛清に発展し、死亡者数は200万人とも言われる。

(つづく)

(翻訳編集・王文亮)


近代の百年以上の歴史が物語るように、共産主義は「この世のユートピアを創造する」との名目で闘争、飢饉、虐殺、恐怖を人類社会に広げ、一億人もの人々の非正常死をもたらした。共産主義国家が消えていく今日、これまで語られてこなかった負の歴史を、大紀元はシリーズ社説「共産主義の終焉」のなかで解き明かしていく。

大紀元社説 共産主義の終焉 共産党について九つの評論
関連記事
40年以上経った今でも活躍するF-16戦闘機は世界最高の多用途戦闘機の1つとして評価される。将来的には、ステルス機との対戦が課題となるがF-35やF-22戦闘機にはないF-16ならでは能力を持っている。
航空機の戦闘力を評価する際、速度や武装能力だけでなく、出撃生成率(SGR: Sortie Generation Rate)が重要な指標となる。SGRは航空機の運用効率を示し、高いSGRを持つ機体は、より頻繁な出撃と優れたパイロット訓練を可能にするため、総合的な戦闘力を大きく向上させる。
ナバロ氏は2016年よりアメリカと中国の関係に深く影響を与えてきました。トランプ氏はナバロ氏を貿易顧問に任命し、保護主義を強化した。ナバロ氏の著書『デス・バイ・チャイナ』は、トランプ政権の貿易政策の指針とされている。
中国は武器輸出を通じて地政学的影響力を拡大しているが、米国は、ウクライナへの武器輸出阻止や先端技術のアクセス制限を通じ、中国の軍需産業に圧力をかけている。世界の武器市場における競争は一層激化している。圧倒的な首位を維持する米国と、追い上げを図る中国。その行方を探る。
最近の中国共産党内での権力闘争が激化し、劉源が中央に絶望的な上書を送った。習近平への信頼が揺らぐ中、経済危機や政治的不安が拡大し、台湾問題への取り組みも失敗に終わる可能性が指摘されている。劉源は改革を提案し、党と国家の未来に警鐘を鳴らしている。