雨傘運動3周年に合わせて、香港市民は集会を開催した。(大紀元)

雨傘運動3周年、香港で記念集会 「民主化への希望を捨てていない」

2014年9月28日に香港で起きた「雨傘運動」は今年で、3周年を迎えた。現地時間9月28日午後5時頃、30の民主化団体が香港中心部の金鍾地区で記念集会を行った。約300人ほどの市民や学生が参加し、シンボルの黄色い雨傘をさしながら、「真の普通選挙を求める」などのスローガンは再び叫ばれた。

当時民主化運動の発起人や運動に参加した活動家や大学生が大紀元の取材に応じ、現在の香港では中国当局の過剰な介入で「独裁政治」が広がっていると批判する一方で、「私たちは希望を捨てていない」と民主化に向けての活動は今後も続く姿勢を示した。

香港では「一国二制度」の下で高度の自治を認められ、2017年香港特別行政区行政長官選挙は本来、全有権者に一人1票、誰でも立候補ができるよう行われる予定だった。しかし、中国当局は14年8月31日に、行政長官候補は親中派が大半占める「選挙委員会」(定数1200)からの過半数の支持が必要だと定めた。事実上反中国共産党の候補を排除した。

香港民主化団体や学生などはこの決定に反発し、9月22日から大規模な抗議活動を行った。28日午後5時58分ごろ、香港警察当局は武器を持たないデモ隊に催涙弾などを使い、鎮圧を始めた。警察当局の発表によると、28日の1日だけで87発の催涙弾が使用された。

その後、香港市民や学生による主要幹線道路での座り込み、つまり「占中」活動は、79日間が続いた。高等法院(高裁)は今年8月、「雨傘運動」の主導者、黄之鋒氏(20)ら3人に実刑判決を下した。3人は、香港返還後「初めての政治犯」となった。

 占中活動の発起人、「若い世代に感動した」

「私は、今の若者が甘やかされて育った世代だとずっと思っていた。でもあの時、本当に感動した。」こう話すのは「占中」活動の発起人の一人、香港中文大学社会学部の陳健民・副教授。

「当時、ゴーグルなどを使って目を保護したから、警察が催涙弾を投げたが、私は涙が出なかった。しかし、主要道路での占拠を始めた次の日、現場でごみ拾いをしている若者を見て私は涙を流した」

雨傘運動から3年が経った今、陳副教授は「最初の1周年記念では、民主化団体や多くの市民・学生たちは非常に落ち込んでいた」「特に最初、本土派が従来の民主派グループに対して、やり方が『平和すぎる』と強く批判された。2周年記念以降多くの抗議活動を通じて意思疎通を重ねた結果、今は本土派もわれわれ従来の民主派団体も、香港の将来のために一致団結した」と前向きだった。

陳副教授は、特に若い世帯に希望を持っていると話す。「2014年の大規模な抗議デモでは最初、大人が主導したが、その後大学生などの若者が主力になった。だから、香港の若者を軽視してはいけない」。

「私は(香港の)民主化運動にまだ希望を持っている」と陳教授が自信を示した。

 大学生「雨傘運動は市民の心に根を下ろした」

雨傘運動に参加した当時嶺南大学1年生の張倩盈さんは、当時家族に反対されたが、それでも占拠活動に参加した。「当時の私は、六四天安門事件などの政治活動に参加したことがなかった。でも、多くの学生がデモに参加したのを見て、私も占拠活動に参加したいと思った。家族から反対されたため、あの時大学での授業が終わった後に、毎晩金鍾に行って1時間だけ座り込みをしてから家に帰った」と話した。

現在4年生で嶺南大学学生会の副会長を務めた張さんは、当時の活動から得た経験をもとに、学生会の幹部に立候補したという。

「占拠活動を通じて、若者は政治や社会運動について多くのことを学んだ。この経験は、今後雨傘運動のような大規模な活動に備えるために必要だ」と雨傘運動は香港市民の心に根を下ろし、民主化や言論自由についての議論がこれからも続くだろうとした。

一方、嶺南大学卒業生で現在電機メーカーに勤めている陳さんは、真の普通選挙を求める運動ではよい結果が得られなかったが、「価値はあった」と今も活動を支持している。陳さんは当時、授業のボイコットに参加した。警察当局が催涙弾で鎮圧し始めた後、学生らが金鍾地区での座り込みに支援活動を行っていた。8月に元学生リーダーが実刑判決を言い渡されたことに陳さんは「残念だ」としながら、「高く評価している」と話した。

 金融専門家と元政府関係者「香港にはまだ希望がある」

 

世界最大手ヘッジファンド会社、英マン・インベストメンツでヘッジファンドマネージャーを務める銭志健さんも、雨傘運動に関わった金融界の重要人物だ。現在、政治団体「2047香港監察」の召集人を務めている。

銭さんも、前述の陳副教授と同様に、「香港にはまだ希望がある」「香港市民、頑張り続けていこう」と話した。

香港政府档案処元処長の朱福強さんは、占中活動が催涙弾で鎮圧されたことに強い憤りを感じたと話した。

「学生らの無私の姿に心を打たれた。彼らは香港の希望そのものだ。これからも(元学生リーダーたちは)きっと香港の将来のために力を尽くしてくれると信じる」。

 元学生リーダーが英紙に寄稿

元学生リーダーの黄之鋒さんは28日、英紙・ガーディアンに寄稿した。黄さんは8月19日香港当局に違法集会と煽動などの罪で6カ月から8カ月の実刑判決を言い渡された後、同日に収監された。

黄さんは、中国当局に操られている香港当局は、高度の自治や言論の自由を求める香港市民に対する政治弾圧を強化していることに懸念を示した。「これまで香港市民の誇りだった「法の支配(Rule of Law)」が中国共産党の「法治主義(Rule by Law)」に代えられつつある」と指摘した。

「しかし、逆境は香港市民をより強くしてくれた。(現在の)政治に対して多くの市民が目が覚めたに違いない」と運動の意義を強調した。雨傘運動が高く評価されたことについて、「この評価は高度な自治のために奮闘したすべての香港市民に与えられたもの」と述べた。

(記者・林怡/蔡雯文、翻訳編集・張哲)

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